■恋のガーデニング 土浦

【お題】恋人達を見守る10題(by 追憶の苑さま)/01 あ、まただ

 ── “それ”に初めて気付いたのは、一体いつのことだったっけ?

*  *  *  *  *

 昼休みも三分の一が経過した頃、購買に残っていた最後のサンドイッチを手に入れた天羽菜美は、 部室へ向かおうと踵を返したところでエントランスに駆け込んできた日野香穂子の姿を見つけた。
「あ。おーい、日野ちゃーん!」
 頭上でぶんぶんと大きく手を振ると、気付いた香穂子がふわっと笑い、駆け寄ってきた。
 天羽の手の中にある購買の紙袋を見て、
「まだパンあった?」
「えっ、日野ちゃん、今から購買? うわっ、もう残ってなかったよ〜」
「あーん、やっぱり。パンかじりながら譜読みしようと思ったのに〜。時間が時間だし、しょうがないか…」
 腕時計を眺め、溜息を吐く香穂子。
 脇に挟んだクリアファイルの中に五線譜が見えた。
 先日教会のバザーでのアンサンブルコンサートを成功させた彼女は、月末の創立祭でOB・OGに演奏を披露することが決まっている。
 バザーで演奏することになった時も積極的に協力を申し出たが、天羽は彼女にとことん付き合うつもりでいる。 報道部員としていい記事が書けそうだから、というのも理由のひとつではあるが、春のコンクールが縁で知り合って親友となった彼女を応援したくてたまらないのだ。
 天羽は紙袋を差し出し、
「これ、サンドイッチだけど譲ろっか?」
「ありがと。でも悪いからカフェテリアでぱぱっと済ませるよ」
「んじゃ、お供するよ。行こっか」
 並んで歩き始めたところで声をかけられ、二人は再び足を止めた。
「── よう、二人揃って今から昼メシか?」
 声の主は土浦梁太郎。
 天羽がこの学院に入学してすぐ報道部に入って以来、彼のことは『サッカー部の期待の新人』という取材対象として見知っていた。
 それがピアノで学内コンクールに出場すると聞いた時は何の冗談かと相当驚いたものだが、彼の演奏はクラシックをほとんど知らない天羽をも圧倒するものだった。
 そして取材を続けるうち、ぶっきらぼうでいつも機嫌が悪いと思っていた土浦が、意外にも気さくで話しやすい人物だということを知った。 いわゆる『いいヤツ』なのである。
 アンサンブルへの参加もダメもとで誘ってみたら、拍子抜けするほどあっさり引き受けてくれて。
 ただし、そこそこ仲の良い友人関係となった現在も『取材』となれば怖い顔で睨まれるのは変わらなかったが。
 既に昼食を終えたのだろう、カフェテリアの方から来た彼は両手をポケットに突っ込んだまま近づいてくる。
「うん、パン買いそびれちゃって、今からカフェテリアへ行くの。土浦くんは?」
「俺は今食ってきた。今日は雨で昼バスケもできねぇから、練習室で時間潰そうかと思ってたところだ」
「そうなんだ」
 と、すっと視線を下げた土浦は香穂子の持っている楽譜に目を留めて、
「食った後は練習── って楽器持ってないんだな。譜読みか?」
「うん、そう。1曲目がやっと形になってきたから2曲目の譜読み始めようと思って」
「そうか。じゃ、一通り弾けるようになったら言えよ。他の音があったほうが全体を掴みやすいだろ」
「ありがと。その時はお願いね」
「ああ」
 ふっと柔らかい眼差しを香穂子に向けたかと思うと、次に土浦は天羽に目を向けた。
 その目に浮かぶのはからかいを含んだ挑戦的とも言える色。思わず天羽は身構えた。
「創立祭まであんまり時間がないんだ、取材もいいがこいつの邪魔はすんなよ」
「なっ! 誰が親友の邪魔なんてするのよっ! 失礼なこと言わないでよねっ!」
 ははは、と笑って歩き出した土浦は香穂子の横を通り過ぎざまに彼女の頭の上にぽすんと手を乗せた。
 足を止めぬまま、ぽん、と一回弾ませてから、ひらりと振って去っていく。
 振り返って見ると、彼はその手をポケットに突っ込みながら、校舎の方へ颯爽と歩いていった。
「……なによ、ほんっと失礼なヤツっ!」
 思わず口から零れてしまった天羽のぼやきに香穂子はくすくすと笑って、
「天羽ちゃん、落ち着いて。とりあえず腹ごしらえしようよ」
 とカフェテリア行きを促したのだった。

*  *  *  *  *

 創立祭のステージでも喝采を浴びた香穂子たちは、今度は文化祭で演奏することになった。
 なんでもこの学院に棲む音楽の妖精を元気付けるためらしい。
 天羽は入学当初に聞いた学院の七不思議、とりわけ妖精の噂について追っていたのだが、まさか本当に実在していようとは。 バザーのコンサートのメンバー探しをしていた頃、あの土浦が真面目な顔で妖精の存在を口にした時の衝撃は忘れられない。
 ただ、そんなファンタジー世界の生き物が実在しているとわかっても、未だにその姿を実際に目にしたことがないのが悔しい限りである。
 それはさておき。
 文化祭までの約1ヶ月に報道部が発行する校内新聞は文化祭の記事に特化した特別編成号となる。
 その一画は香穂子たちのために確保した。
 公私混同と言われようが文句は言わせない。
 が、春のコンクール参加者で構成されたアンサンブルに関する記事はやたら好評で誰も文句なんて言わないし、それどころかもっと記事を読みたいという要望すらあるのだ。
 香穂子たちのステージを盛り上げるための記事を書き上げた天羽は、ジャーナリストの端くれとして公平を期すため、他の部やサークルの取材をするべく森の広場へ赴いた。 この時期、広大な森の広場はサークルや有志で組んだバンドたちが年に一度の晴れ舞台のためにあちらこちらで練習に励んでいるのだ。
 2組ほどの取材を終えて次のターゲットを漁っていると、ふと聞き覚えのある声が耳に入ってきた。
 ずいぶんと葉を落とした大樹の向こう、ひょうたん池の側にある石のベンチに並んで座る二人組。
 香穂子と土浦だった。
 二人とも手ぶらだから練習中ではないらしい。アンサンブル練習の合間の小休止なのだろう。
 アンサンブルの進捗状況でも聞こうかと、天羽はにんまり笑って二人の前に出ようとした。
 しかし。
「── 月森が、そう言ってたのか?」
 土浦が発した硬い声に、天羽は足を止めた。
 よく見れば、二人は仲良く談笑、ではなく、真剣に何かを話し合っていたようだ。
「うん、だからもう一度ちゃんと話し合おうよ。そしたらきっといいアンサンブルになると思うんだ」
「ふーん………敵も考えてきたな」
「もうっ! 敵とか言わないのっ!」
「わかってるって、ちゃんと話し合えばいいんだろ」
 どうやら土浦と月森の間に衝突が起きたらしい。
 元々仲の悪い二人である。仲裁する香穂子の苦労はいかばかりか。
「喧嘩腰になっちゃダメだよ? なんだったら私もついて行こっか?」
「は? ……俺はそんなに信用ないのか?」
「うん、月森くんに関しては」
「お前な、即答するなよ……まあとにかくケンカにならないようにきっちり話つけてくるって」
 すっくとベンチから立ち上がる土浦。
 釣られるように香穂子も立ち上がった。心配そうに彼を見上げ、
「ほんとに大丈夫?」
 ごく自然な動作ですっと土浦の手が伸ばされた。
 ── あ、まただ。
 伸ばされた土浦の手が、香穂子の頬をやんわりとつまんだのだ。
 土浦梁太郎という人物、女子の間では相当な人気を誇っているのだが、本人はまるで女子には興味がないように見えた。まさか女嫌いなのでは、とまで疑ったほどに。
 男同士ならば年相応にワイワイ騒ぐこともあるようだが、相手が女子となるとポケットに手を突っ込んだままそっけなく、必要最小限の会話が済めばさっさと去っていく。
 しかし、いつしか例外があることに気付いたのだ。
 そう、それが日野香穂子なのである。
 彼女と話している時の土浦はどことなく優しい顔つきをしていた。
 そして、彼はいつもわざわざポケットから手を出して、彼女の身体の一部に触れる。
 もちろん、決していやらしい意味ではなく、頭にぽんと手を置いたり、励ますように肩を叩いたり。今なんて頬に触れているのだ。
 と言っても、むにっとつまんでいるせいで香穂子の口元が引っ張られていて、思わず吹き出してしまうほどにほのぼのとする光景なのだが。
 そして、そうされることを彼女は拒絶することなく受け入れているらしい。
 ── これは……もしかして…?
「お前がそんな顔することないだろ。心配すんなって、今は個人的な感情論よりアンサンブルの完成を優先させるさ」
 ニヤリと土浦が不敵に笑う。
「……じゃあ、講堂で待ってるから。ちゃんと二人で来てよね?」
「ああ── んじゃ、また後でな」
 ── あ、ほーら、また。
 土浦は香穂子の頬から離した手を、彼女の頭の上に乗せた。くしゃりとかき混ぜ髪を乱してから、その手を無造作にポケットに突っ込み、スタスタと校舎の方へと戻っていった。
 その後ろ姿が小さくなると、香穂子は、ふぅ、と大きな息を吐いてストンとベンチに座り込んだ。
「日野ちゃん……土浦くんと月森くん、なんかあったの?」
 声をかけられるとは思っていなかったのだろう、香穂子がぴくりと身体を震わせて、大きな目を更に大きく見開いて天羽の方を見た。
「あ、天羽ちゃん……んー、演奏における意見の相違っていうか。あ、記事にするならしゃべらないよ?」
「しないしないっ! あんたたちのアンサンブルのイメージダウンになるような記事なんて書くもんですか!」
 同時にぷっと吹き出して。
 天羽はさっきまで土浦が座っていた香穂子の隣へ腰を下ろした。
「ほんっとあの二人、仲悪いよね〜。コンクールの頃から衝突しっぱなしじゃない?」
「二人とも音楽に関しては確固たるものを持ってるって感じだしね………ほんとに大丈夫なのかな、土浦くん」
 香穂子の視線は去っていった彼の後ろ姿を探すように、広場の入り口の方向へと向けられた。
「ねえ、もしかして──」
 ── あんたたちって付き合ってんの?
 危うく口にしそうになった言葉を、天羽は慌てて飲み込んだ。
 土浦は香穂子に向かって『同じ普通科同士』という言葉をよく使う。けれど今の彼にはそれ以上の感情があることは間違いないだろう。
 香穂子の方も同じく彼に特別なものを抱いていて、二人の間に何かが芽生え始めているのだとしたら。
 今、天羽がその質問をぶつけることによって彼らが妙な意識をしてお互いを避けるようになってしまえば、その小さな芽を摘み取ってしまうことにもなりかねない。
 それは大好きな親友といいヤツな友人に対して、絶対にしてはならないことだ。
「── ん?」
 香穂子が振り返った。
「あっ、いや、あの二人、今頃派手にケンカしてなきゃいいなーと思ってさ」
「ふふっ、大丈夫だと思うよ………うん、土浦くんなら大丈夫」
 柔らかな笑みを浮かべる香穂子の顔を見て、天羽は口に出さなくて良かったと心から思っていた。

*  *  *  *  *

 天羽はふと紙コップを並べる手を止めて、窓の外に目をやった。
 しんしんと降り続ける雪。
 まるで今日という日を演出するような、見事なホワイトクリスマスだ。
 客席からの割れんばかりの拍手がまだ耳に残っている。
 新理事長による学院分割計画を阻止するべく開催することになったクリスマスコンサート。
 結果は── もちろん、阻止成功、である。
 3曲のアンサンブル演奏はもちろんのこと、最後にホールにいる全員で演奏した『歓喜の歌』、あれを聞いて心が動かないとしたら人間じゃない。 クラシックに詳しくない天羽ですら、いまだ胸の震えが治まらないほどに感動したのだから。
 演奏前の控え室でパーティをやることを明かした時の、びっくりした後嬉しそうに笑ってくれたみんなの顔を思い出し、むふふ、と笑みを零す。
 学院分割の危機を救ったアンサンブルメンバーを労うべく、天羽はささやかなクリスマスパーティをこっそり計画したのである。
「よしっ、準備はこんな感じでいいかなっと」
 止まっていた手を動かし紙コップを並べ終えると、天羽は相棒の一眼レフカメラを手に、パーティ会場として借りたリハ室を出た。
 向かうは控え室。
 そろそろみんな着替えを済ませた頃だろう。
 女子の控え室へ入ると、そこには香穂子と天羽の妹分とも言える冬海笙子ひとりだけだった。
「あれ? 日野ちゃんは?」
「えと…演奏の後、一緒に戻ってきたんですけど……すぐに出ていかれて……」
「そうなんだ……じゃ、あたしは日野ちゃん探してくるから、冬海ちゃんは男子チームにリハ室へ行くように伝えてくれる?」
 踵を返して廊下に出ると、後ろから「えっ、あ、天羽先輩っ !?」と心細そうな冬海の声が聞こえて来たけれど、 コンクールとコンサートでずいぶん成長した彼女だから大丈夫。
 冬海ちゃん頑張れ!と心の中でエールを送りながら、天羽は館内を走った。

「日野ちゃん、どこ行っちゃったんだろ?」
 ひとりぼやきつつエントランスのロビーに差し掛かった時。
 きぃ、と小さな軋みを上げて開いた正面玄関の扉から入ってきたのは──
「うわっ、日野ちゃん………と、土浦くん…?」
 天羽は慌てて廊下の角に身を隠し、咄嗟にカメラを構えてシャッターを切っていた。
 人のスキャンダルを狙うパパラッチのような真似をするつもりはなかったのだが、不意に降ってきたシャッターチャンスを逃さないのはプロ根性というか職業病というか。
 そんな自分に少々呆れて、天羽は肩をすくめ。
 けれど、ファインダーの中で外の寒さに赤くなった顔を見合わせ楽しそうに話していた彼らはとても幸せそうで。 しっかりと繋がれた手は、天羽がうっかり摘み取らずに済んだ芽がちゃんと育って花開いたことを物語っていた。
 ── おめでとう。よかったね。
 天羽は音を立てないように静かに数歩下がって、すぅっと息を吸い込むと、
「日っ野ちゃーんっ! どこー! パーティ始めるよーっ!」
 うわっ、と慌てる二人分の声が聞こえてきて、思わず吹き出しそうになった。
 ── さっきの一枚、現像するのが楽しみだ♪ もちろん記事にはしないけどね。
「あっ、なーんだ、二人ともこんなとこにいたの〜?」
 外の寒さとは別の理由で真っ赤に染まった二人の前に、天羽はしらじらしく姿を見せたのだった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 コルダ2土浦ルートを天羽ちゃん視点で。
 デバガメは『スッポンの天羽』の得意技♪
 ていうか、最初は天羽ちゃんの一人称で書いてたので、もっと軽い話になる予定だったのに。
 なんか途中しっくりこなくて三人称に書き直してみたら、あら不思議♪
 やけにしんみりしっとり気味なお話になっちゃいました。
 そしてアンコ土浦OPへと続く、と。
 お題の『あ、まただ』があんまり活かせてないような……(汗)
 そしてタイトルがそこはかとなくクサイ(笑)

【2008/09/22 up】