■マリッジブルー
土浦梁太郎は学校での練習を終え、自宅に帰るべく正門前を歩いていた。
ふと、前方を歩く見慣れた後ろ姿に気づく。
歩くたびに元気に跳ねた髪がふわりふわりと揺れて。
今日はアンサンブルの練習をしなかったから、1日彼女に会っていなかった。
どうせ帰る方向は同じ、話しながら帰るのも、彼女となら悪くない。
声をかけようと口を開いた所で電子音が鳴り響いた。
と、前を歩いていた彼女── 日野香穂子が足を止め、カバンから携帯を取り出して話し始めた。
別に電話の内容を立ち聞きしようというわけではないが、梁太郎も足を止める。
彼女の電話が終わってから声をかけようと思ったのだ。
「── もしもし? ……うん、まだ悩んでるよ」
ぴくり。
梁太郎の眉が上がる。
口調はそれほど深刻そうではないが、はっきりと『悩んでる』と言った彼女。
人に弱みを見せることをよしとしない彼女がそう口にするということは、深い悩みかもしれない。
── 一言相談してくれりゃいいのに。
梁太郎は唇を噛む。
「── だって、出会って間もない人と結婚なんて」
── なにぃっ !? 日野が結婚っ !?
自分が好意を寄せる女が、見知らぬ男と結婚する── あまりのショックに、梁太郎は彼女の背中を射抜くほど強く見据えていた。
痛みを伴うほど激しく動き出した心臓に、思わず胸元をぐっと押さえて。
「……せめてデートの1回くらいさせてくれても、ねぇ」
── そんな浅い付き合いで結婚を決めてもいいのかっ !?
「それにさ、二股どころか三股じゃない? なんか後味悪いよね」
── 三股だとぉっ !? やめろ、今すぐやめろ、そんな相手との結婚なんて今すぐやめてしまえっ!
「…あー、それって王道だよね。でも子供の頃にちょっと思い出があるからって、大きくなって再会して『さぁ結婚しましょう』って気持ちになる?」
── っ !? それって……俺のことか…? まさか三股してるのはお前か、日野っ !?
梁太郎の頭の中で『エリーゼのために』が物悲しく鳴り響く。
「それに子供のこともあるじゃない? もう名前も決めてるんだけど」
子供── 決定的な言葉が飛び出した。
── まだ高校生だし、結婚なんてまだまだ先の話……あいつと付き合っているわけでもないし、それどころか告白だってしていないのに……俺には希望すらないのか……
身体中の力が抜けていく。
手からカバンがするりと抜けて、ドサリと音を立てて地面に崩れ落ちた。
音に気づいた香穂子がくるりと振り返った。
「あ、もうちょっと考えてみるね。また相談に乗って。じゃあね」
携帯をぱかんと畳んでカバンに落とし、その手をひらひらと振る香穂子。
「土浦くーん、今帰り?」
ヴァイオリンケースを胸に抱え駆け寄りながら無邪気に笑う彼女の顔を見ることができなかった。
まあな、と呟いて、ゆるゆると腰を曲げてカバンを拾う。
じゃあな、と手を振ってこのまま立ち去ってしまおうか。
だが。
「……身体、大丈夫なのか?」
口は勝手にそう動いていた。
「え? ……あ、うん、元気だけど?」
「そうか……その年で結婚ってのも大変だろうが、まあ、頑張れよ」
目を逸らしたまま、なんとか言葉を搾り出す。
と。
ぶはっ、と香穂子が吹き出した。
「やだっ、今の電話、聞いてた?」
「あ……悪い、盗み聞きするつもりじゃなかったんだが……」
ケースを抱きしめ、身体をくの字に曲げてゲラゲラと笑い転げる香穂子。
── 秘密がバレて、とち狂ったか?
怪訝な眼差しで見つめていると。
「今の、ゲームの話だってば」
「………は?」
「知らない? ドラ○エV。主人公が結婚して、双子ちゃんが生まれるんだけどね、選んだ結婚相手によって子供の髪の色が違うのよ。だから悩んじゃって」
「………っ」
あははー、と香穂子は能天気に笑っている。
「………でかい声で、んな紛らわしい話すんなっ!」
彼女を置いて、すたすたと歩き始める。
「えっ、ちょ、ちょっと、何怒ってるのっ !? 待って、一緒に帰ろうよっ!」
後ろから聞こえてくる小走りの足音を聞きながら、梁太郎の顔には安堵の笑みが広がっていた。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
ゲーマー香穂子さん(笑)
ちょびちょびとしかプレイしないせいでなかなか進まないド○クエV。
やっと結婚しました……デボラさんと(笑)
でもまだネッドの宿屋にいるあたし(笑)
『夢浮橋』発売までに終われるかなぁ……
【2008/08/01 up】