■語学のおべんきょう
ある日の昼休み。
昼バスケに向かっていた実川 俊は、通りかかった森の広場でふと聞こえた声に思わず足を止めた。
はっきりと声は聞こえるのだが、頭がそれを意味あるものとして理解してくれない。
耳をそばだてながら辺りを見回していると、
「── それは中性名詞だから 『das』 だろ」
「えーっ、そうだっけ !? あーもう、中性とか男性とか女性とか、わけわかんない!」
「語尾見りゃだいたい解るだろうが」
木陰のベンチに座る二人連れ。
春に普通科から音楽科へと移っていった親友とその相方だった。
後ろから近づいて、
「よっ、何やってんだ、おふたりさん?」
と声をかけてみた。
合図したかのように同時に振り返るふたり。
親友── 土浦梁太郎は口の端を上げて、よう、と挨拶を返し、その相方── 日野香穂子は、こんにちは実川くん、とニコリと笑った。
彼らの前に回り込んだ実川は、土浦が手にしている本のタイトルになぜかドキリとした。
「……ドイツ語…?」
「ああ、もしかして 『あっち』 に行くことになるかもしれないだろ」
「あっち、って…?」
「ヨーロッパだよ。やっぱクラシックの本場はヨーロッパだからな。ま、本格的に音楽やる気になったんだ、チャンスがあれば行ってみたいって欲も出るさ」
「へぇ……すげぇな── 日野さん、も?」
土浦が持っているものと同じドイツ語のテキストを手にしている香穂子にも聞いてみる。
「うん。留学は無理だとしても、一度はあっちのコンクールとか出てみたいし。そうなると、言葉がわかった方が楽しいと思うんだよね♪」
「……お前の場合、コンクールよりもあっちのケーキ屋巡りが目的だろ」
「えへっ♥ バレた?」
じゃれあうような会話に口元を引きつらせながらも、実川は小さな焦りを感じていた。
確かに3年に進級してからは大学進学を見据えて勉強はしてはいるが、その先となると彼らのような明確なヴィジョンはない。彼らが少しうらやましかった。
「ど……ドイツ語といえばさ、いっひりーべなんとか……ってのはドイツ語だっけ?」
「あーそれ、最初に覚えた!」
ちょっぴり落ち込んだ気分を振り払うべく振った話題に香穂子が嬉々として食いついてきた。胸元で手を握り合わせ、目をキラキラと輝かせている。
「でもさ、ドイツ語だとなんかそっけないっていうか。 『じゅて〜む♥』 の方が情熱的に聞こえない? 私、フランス語の勉強しようかなぁ」
「……アホか。ウィーン行くんならドイツ語だろうが。大体、んな言葉覚えてる暇があるんなら日常会話を覚えろよ」
「え、私、日常で使う気マンマンだよ?」
「……誰に…?」
「いやん♥ 決まってるじゃない♥」
「……普通に日本語で言えばいいだろ」
にまにまと笑いながらの香穂子に肘で脇腹をツンツンされている土浦の顔は真っ赤に染まっていて。
……………。
すっかりふたりだけの世界に入ってる彼らは放っておいて、実川は昼バスケに向かうことにした。
落ち込んで損した、とか思いつつ。
幸せオーラを撒き散らしているふたりを見ていると、音楽にどっぷりのめり込んでいる彼らのように自分にも将来目指す何かがきっと見つかると思えてきて、
なんとなく楽しくなってきた実川だった(彼女のいない彼としては、別の意味でちょっと虚しくもあったけれど)。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
プレうぃーんシリーズ、って感じかな?
うふっ、ちょっとしたスランプなのですよ。
すんなりネタが降ってこないっていうか。
やっぱり香穂子嬢に翻弄される土浦氏が大好物です、あたし。
今回もごめんね、実川くん(汗)
【2008/06/20 up】