■SKY HIGH
※『ろーど・おぶ・ざ・りんぐ?』の続きです。そちらを先にお読みください。
普通科2年、報道部所属の天羽菜美は春の日差しの降り注ぐ森の広場で、昨日行われた音楽祭のオープニングコンサートでコンミスを務めた日野香穂子にインタビューしていた。
普通科に属しながら学院の代表として舞台に上がった感想、コンミスとしての苦労と喜び、そして4月からの音楽科編入への意気込みと将来の展望などを次々に聞き出す。
そして最後に写真を1枚、とファインダーを覗いて、ふと気がついた。
「あれ? 日野ちゃん、今日は土浦くんにもらった指輪、してないんだ?」
香穂子はみるみる顔を赤く染め、
「うん……ちょっと恥ずかしいし……さすがに学校では、ね」
と、襟元から細いシルバーのチェーンを手繰り出すと、香穂子の彼氏である土浦梁太郎が彼女へ贈った赤い石のついたリングがペンダントヘッドのように揺れていた。
「なーる……」
えへへ、と照れ臭そうに笑って、香穂子はチェーンごとリングを胸元に滑り落とした。
天羽はベンチに座る香穂子の隣に腰を下ろし、
「それにしても、あの土浦くんが指輪なんてチョイスするとはねー。どんな顔して買ったんだろ……最後まで見届けてやればよかったなあ」
「え……天羽ちゃん、知ってたの?」
訝しげに眉をひそめる香穂子に、しまった、と天羽は口元を押さえる。
ショッピングモールのジュエリーショップの前で梁太郎に遭遇した天羽は、その時きっちり口止めされていたのだ。
しかしあの時は、渡す前に香穂子に知られたくない、という意味での口止めだったはず。指輪が彼女の手に渡った今、あの口止めは効力を失ったと天羽は判断した。
「モールに写真展を見に行った時にたまたま出会ったんだよ」
「ふぅん…」
「ジュエリーショップの前でぼーっと突っ立っててさ、下手すりゃ宝石強盗の下見かと思われて尋問されそうなほど怪しかったんだから」
「ぷっ」
「雰囲気的には動物園のクマ! ほら、テレビで見たことない? 頭抱えて苦悩するマレーグマってヤツ、あんな感じ。
『入りたいのに入れない』ってジレンマたっぷりのオーラ垂れ流しててさ。じれったいから背中突き飛ばして店の中に押し込んでやったのさ」
「あははっ、やだもう、天羽ちゃんってば、梁のことあんまりいじめないでよ」
腹を押さえ、時々涙の滲んだ目元を指の背で拭いつつ、ゲラゲラ笑い続ける香穂子。モールでの梁太郎の姿を想像して、笑いのツボに入ったらしい。
「そんなこと言って、あの調子じゃ私が押し込んでやってなきゃ指輪なんて買ってないよ、絶対! 感謝してよね!」
「ははー、その節はお世話になりました」
「ふふん、わかればよろしい」
深々と頭を下げる香穂子に誇らしげに胸を張る天羽。
顔をちらりと上げた香穂子と目を合わせ、同時にぷっと吹き出して。
「けどさ、あんたにあれだけつらい思いさせたんだから、少し恥ずかしい思いしたくらいじゃ釣り合わないよ、あの唐変木は!」
思い出したようにいきり立つ天羽の肩をぽんぽんとあやすように叩く香穂子。
「── でもね、わかる気がするんだ、梁の気持ち」
「へ?」
香穂子は両膝の傍の石のベンチをぎゅっと掴み、頭をかくんと後ろに倒して真っ青な空を見上げる。
「……梁はいつも一生懸命だから。音楽科に行くことを決めて、目の前にやらなきゃいけないことができたから、そっちに一生懸命になっちゃっただけ」
「それはあんただって一緒でしょ。あんたも音楽科に移るんだし、目の前にはコンサートがあったんだし」
「うん、そうなんだけどね……梁はずっとピアノやってたからある程度音楽の知識があるでしょ。
だから音楽科の人たちとの2年間の差がどれほどのものか、よくわかってるんだよ。だから焦りも大きいの」
ゆっくりと頭を起こし、そのまま胸元に顎がつくほど前に傾ける。髪がはらりと落ちて、その横顔を隠した。
「……けど、今の私は感覚的にヴァイオリンを弾いてるだけで、知識がない。漠然とした不安はあるけど、何をどう焦ればいいのかがわかんないんだ、まだ」
「日野ちゃん……」
香穂子が細い指先でサイドに落ちた髪を耳にかける。あらわになった横顔は、イタズラを思いついた子供のような無邪気な笑みを浮かべていた。
「でもね、コンミスの勉強してるうちに、ちょっと焦ってきたの。だから、今度は私が梁をほったらかしにする番かもよ?」
俯いたまま視線だけを向けてくすっと笑う香穂子の目は、やけに挑戦的で。
天羽は『日野香穂子』という人物の強さと深さを見せ付けられたような気がして、感動すら覚えていた。
「── 目には目を、歯には歯を! 同じ目に遭わせてやれ! 私が許す!」
「やだな、焚きつけないでよ。私はこれから梁の持ってる知識を盗んでやろうと思ってるんだから、ケンカなんてしてる暇はない! うん!」
顔を上げ、前を見据えて力強く拳を握り締める香穂子。
「あんたってば……ほんとけなげだねぇ……」
「そんなことないよ、欲張りなだけ。音楽も梁も、どっちも大事なんだもん」
「はいはい、ごちそうさまでした」
ふたりの明るい笑い声が、春の午後の緑の中で響き渡った。
* * * * *
香穂子が森の広場でインタビューを受けていると聞きつけてここまで来たものの、声をかけそびれてしまった梁太郎は、赤くなっているであろう顔の半分を隠すように手を当て、
樹の陰に身を潜めていた。
聞こえてしまった会話の内容が内容だけに、気恥ずかしくて声をかけ辛くて。
放置してしまったことを詫びた時も、多くを語らず赦してくれた香穂子。
彼女がこんなにも自分を理解してくれているとは思ってもいなかった。
── あんな『いい女』、大事にしなきゃ男として、いや、人として失格だよな。
彼女に対してしでかしてしまったことの大きさが改めて身に染みて、不甲斐ない自分への苛立ち任せに頭を掻きむしる。
カフェテリアでジュースでも飲もうか、という話でまとまった香穂子たちが、彼の隠れる樹の側を通り過ぎていった。
そっと木陰から顔を出せば、背中で揺れる長い髪が見えた。
時折見える楽しげな横顔を目で追いながら。
── 俺が持ってるものでいいなら、全部やるさ。だから──
ずっと一緒に歩いていこう、と心に誓う。
見上げた青い空はどこまでも高く広かった。
輝く太陽を受け止めるこの空のような男でありたい、と願いつつ──
「……………誰が『動物園のクマ』だ、くそっ」
〜おしまい〜
【プチあとがき】
なんだこれは?
一応、『ろーど・おぶ〜』の続編ですな。
後編のラスト、コンサートデートの前のお話ってことで。
あ、土浦さん、ほぼ最初から会話を聞いてたのですが、彼女たちを見てないので
香穂子さんが首に指輪をぶら下げていることを知りません。
なんか、ふっとネタが降ってきたもので。
いや、降ってきたのは『宝石強盗』と『クマ』だけだったんだけど、
無理矢理書いてるうちにちょっぴりシリアスちっくに…。
それでもオチをつける(笑)
クマはご存知マレーグマのツヨシくんでございます。
彼のいる動物園はうちから車で20分ほど。ちょっとしたご近所さん(笑)
本当は『無自覚でノロケる香穂子さん』が書きたかったんだけどなぁ。
ま、ノロケてるっちゃノロケてるか。
いやあ、やたら器の大きい香穂子さんだわぁ(笑)
土浦さんは明子ねーちゃん化してるし(笑)
【2008/04/11 up】