春のコンクール期間中、ヒマを持て余したリリが暇つぶしに魔法をかけ、コンクールメンバーの身体を入れ替えてしまうという事件があった。
(→コミックス版をご存知ない方への解説)
あの時は屋上でミーティングをやるということになっていたから、特に混乱もなく皆が屋上に集まり、リリを締め上げて魔法を解かせて事なきを得たのだが。
香穂子は焦りに足をもつれさせながら、土浦の姿をした加地を探して校内を走り回っていた。
混乱が起きないうちに加地を探し出し、土浦を待機させている屋上へ連れて行って、リリに魔法を解いてもらわなければならない。
「……中身が加地くんなら、私がいきなり抱きついたら、そりゃ驚くよね」
練習室での出来事を思い出せば、思わず笑いがこみ上げてくる。
「あ゛、私、加地くんに抱きついちゃった? で、でも、身体は梁太郎だし……加地くんに抱きしめられちゃったけど、中身は梁太郎なんだから── あれ…?」
考えれば考えるほど混乱してきて、香穂子はブンブンと頭を振って考えるのをやめた。
「── あ」
ふと思いついた考えに、走っていた香穂子の足が止まる。
── ポエマーな土浦梁太郎を見てみたい!
現在、土浦の中身は加地である。課題で出された詩を作るのに悪戦苦闘していた土浦が、どんな顔をして朗々とポエムを詠いあげるのか?
想像しただけで、香穂子はぷっと吹き出した。
おかしさに緩む顔を必死で引き締め、聞き込みをしながら土浦姿の加地の足跡を追っていった。
* * * * *
森の広場の最奥部。
ひょうたん池の水面を覗き込むようにして佇む土浦── の姿をした加地。
周りに生徒の姿はない。
日が傾きかけ、日差しの恩恵が薄くなり、空気が冷たくなってきたせいだろう。
ざく。
落ち葉を踏む音に気づいた加地(見た目・土浦)が振り返る。
「あ……」
「えと……加地くん、だよね?」
はっと目を見開く加地。
「驚かないの?」
「前にもあったんだよ、コンクールの頃。もう、リリのいたずらには困っちゃう!」
あはは、と香穂子が笑うと、加地も表情を緩めた。
「……ごめんね、日野さん。僕が土浦をからかいすぎたせいで、バチが当たっちゃったみたい」
「やだ、バチとかじゃなくてリリのいたずらなんだってば。気にしないでよ」
「ふふっ、ありがとう、日野さん」
香穂子は身体がむずむずするような違和感を感じていた。
目の前にいるのは、中身が加地とはいえ、姿は土浦なのに。
やはり纏う雰囲気がいつもとは全く違う。
中身が加地なのだから当然ではあるのだが、土浦の声で『日野さん』と呼ばれると、心がチクリと痛んで悲しくなってくる。
あまりに他人行儀で、ふたりの間に遠い遠い距離ができてしまったようで。
「── どうかした? 日野さん」
「あ、ううん、なんでもない。…えっと…さっきはごめんね、急に抱きついたりして。びっくりしたでしょ?」
「ふふっ、確かに驚いたけど、慈悲深い幸運の女神が僕を憐れんで、ささやかな幸せを与え給うたんだと思ったよ」
「あ……あはは……」
口から漏れる、渇いた笑い。
『ポエマーな土浦』とは何と心臓に悪いことか。
見てみたい、なんて考えた自分に怒りすら覚えるほどに。
聞き慣れた声がよそよそしい言葉を紡ぐたび、胸の奥の方が締め付けられるように痛かった。
「日野さん !?」
「えっ、あ、なに?」
「涙……」
「え…?」
指先で頬に触れてみると、確かに濡れた感触があった。
香穂子自身が気づかぬうちに、涙が頬を伝っていたのだ。
こんなことになったのも──
「── リリのバカぁっ!」
こみ上げてきた怒りをぶつけるように、拳を握り締め、空に向かって香穂子が吼(ほ)えた。
キラキラと光が集まって、空中にリリが姿を現す。
『── 我輩に向かってバカとは何なのだー! ひどいぞ、日野香穂子!』
「ひどいのはそっちでしょ! 何ふざけたイタズラして遊んでるのよっ!」
『むっ、イタズラではないぞ! 土浦梁太郎と加地葵に反省を促そうとしてだな── 日野香穂子、お前、泣いているのか?』
「泣いてるんじゃないわよ! 涙が勝手に出てくるだけ!」
『むむぅ……我輩、お前のためにと思って……決してお前を悲しませようとは思ってなくてだな……』
「だったらふたりを元に戻してよ! 早く! 今すぐっ!」
『わ、わかったのだ……えいっ!』
リリがスティックを振る。
スティックの先からキラキラの光が溢れた。
宙に浮いている妖精の姿を見ることができない加地にとって、香穂子が叫んで以降ずっと彼女が一人芝居をしているように見えて、唖然とするばかりだった。
その加地の身体をリリのスティックから溢れた光が包み込み、一瞬まばゆく輝いた。
光が治まった時── 身体と心がちゃんと揃った加地の姿があった。
「……よかった、元に戻ったみたいだ…」
自分の身体をぺたぺたと触り、耳のピアスに触れて安堵した加地は溜息混じりに呟いた。
と、後ろからざくざくと落ち葉を踏みしめるテンポの速い足音が聞こえ、
「── おい………あっ!」
加地と並び立つ香穂子に駆け寄った土浦は、香穂子の制服のポケットから鏡を取り出して、自分の顔を覗き込む。
「はあああぁぁぁぁぁぁ……戻った……」
「やだ……屋上で待っててって言ったのに…」
「いや、なんか落ち着かなくてな……」
と、土浦は加地の方へ向き直り、
「悪い、加地。お前のイメージ、壊したかも知れん」
「え…」
「ここに来るまで、何人かに『日野を見なかったか』って聞いたからな」
「あ……まあ、今回のことは僕に非があることだし、それは土浦への償いとして甘んじて受けるよ。ごめん、土浦」
「いや、俺の方こそ大人気なかった。悪かったな」
「ふふっ、じゃあこの件はこれで終了ってことで」
土浦と加地はにやりと笑い合って。
もう一言文句を言ってやろうと香穂子が宙を見上げると、そこには既にリリの姿はなくなっていた。
「ごめんね日野さん、君が一番迷惑を被ったよね」
「えっ、う、ううんっ」
「なんだ……泣くほどのことか?」
土浦は大きな手で香穂子の頬を包み込むようにして涙を拭ってやる。
「じゃ、僕は先に戻ってるね」
ふふっ、と笑みを残し、加地は軽やかに駆けていった。
加地の姿が見えなくなってから。
香穂子は土浦の胸に頭をことんとぶつけるようにして凭れかかった。
「香穂?」
「………やっぱり、梁太郎は梁太郎じゃないと、やだ」
「当たり前だろ」
土浦は香穂子の身体をそっと腕の中に閉じ込めて。
「……いくら中身が俺だとはいえ、加地の身体でお前を抱きしめるなんて、二度とゴメンだ」
「……うん」
「あんな露骨に拒否されると、さすがにキツイしな」
「それは仕方ないよ。見た目、梁太郎じゃないんだもん」
「そりゃそうだ」
抱きしめる腕に力を込めようとした瞬間、香穂子はするりと土浦の腕を抜け出した。
「さ、丸く収まったところで、パガニーニチーム練習開始よ!」
「う゛……あいつらと顔合わせたくねえな……」
「そんなこと言ってる暇はない! ほら、行くわよっ!」
「……わかったって」
香穂子は土浦の腕を引っ張り、森の広場を横切り、講堂へと戻っていった。
* * * * *
【おまけ】
「── 土浦先輩」
「ん? どうした、志水?」
「けんか、しましょう」
「は?」
「けんか、です」
「いや……俺は理由もなく喧嘩するほどヒマじゃないんだがな」
「……加地先輩がうらやましいです」
「はあ?」
「リリに直接頼めればいいんでしょうが、姿が見えないし……」
「……お前、もしかしてこの間俺と加地が入れ替わった時のことを言ってるのか?」
「はい、だからけんか、しましょう」
「勘弁してくれ、俺は二度とあんな目に遭うのは嫌だからな」
「……土浦先輩の大きな身体でチェロを弾いたら、どんな音が出るんだろう…」
「人の話をちゃんと聞け!」
そして、土浦はしばらくの間、志水の「けんかしましょう」攻撃に晒され続け、辟易とした日々を過ごすこととなったのである。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
携帯がつながらなかったのは、リリが魔法でジャミングしてたから。
土浦(中身:加地)が練習室で黄昏てたのは、ガラスに映った自分が土浦の姿なのに
気づいて途方に暮れていたため。
加地(中身:土浦)は、自分の姿を見る機会がなかったため、知らないまま。
……なんて、ほんとは文中で説明しなきゃいけないんだけど……。
シリアスなんだかギャグなんだかわかんなくなっちゃいましたねぇ…。
前編の土浦さん、なんか獣っぽいっていうか、変態っぽいっていうか(笑)
こんな感じでいかがでしょうか?
みずきさま、リクエストありがとうございました。
【NOTICE】
このSSは、リクエスト主さまに限り、お持ち帰りフリーです。
サイトをお持ちの場合、掲載していただいてもかまいません。
その場合、当サイトへのリンクは任意としますが、このSSが『神崎悠那』作であることを
必ず明記してくださいますよう、お願いいたします。
【2008/04/03 up】
【コミックス版・金色のコルダをご存知ない方へ】
このお話は、コミックス4巻に収録されている特別編「a Curious day」をベースにしております。
春のコンクール中、ヒマを持て余したリリが、思いつきでコンクールメンバーの中身を入れ替える
魔法をかけた後に起きる騒動。
ちなみに、
・やたら愛想のいい土浦(中身:白柚木)
・不機嫌にガンたれる志水(中身:土浦)
・冷静で無愛想な火原(中身:月森)
・元気いっぱいの柚木(中身:火原)
・中庭で眠る月森(中身:志水)
・真っ黒な冬海ちゃん(中身:黒柚木)
そんな感じで(笑)
なぜ柚木の白黒が分離したのかは不明(笑)(→お話の続きへ戻る)