■2枚目の写真 土浦

 エントランスで土浦と別れた天羽は、その足で香穂子の姿を探していた。
 ニブちんな土浦に、焼き増ししてあげる、とは言ったものの、香穂子から写真を回収したほうが手っ取り早いと考えたからである。
 正門前でアンサンブルに協力してくれる音楽科生徒と引き合わせたのはついさっき。
 しかし今日の今日でアンサンブルの練習をするはずもない。今日のところは打ち合わせだけで、今は個人練習に入っているだろうから、と練習室へ足を向けた。
 予想通り、練習室の一室で香穂子の姿を見つけた天羽は、なんとなくこみ上げてくる笑いを必死に抑え、呼吸を整えてからドアをノックした。
「ヤッホー、日野ちゃん! 練習頑張ってる?」
「あ、天羽ちゃん。うん、なんとかね。あ、さっきはありがと、アンサンブルに入ってくれる子、見つけてくれて」
「なんのなんの、お安いご用だよ。私にはこれくらいしか手伝えないからさ〜」
「ううん、大助かりだよ」
 お互い少しの照れ臭さを混じらせ、えへへ、と笑い合う。
 今日、理事長室で突然コンミスに任命された時の香穂子は顔面蒼白になっていたが、今はずいぶん落ち着いたようだ。まずは来週の理事長就任式でのコンサート、 という当面の目標地点が見えたからだろう。
 天羽は今の香穂子の立場を頭の中で自分に置き換えてみた。
 大手出版社からいきなりコンタクトがあって、『次号のメインの特集、あなたに任せるから、売れる記事を書いてね』と言われたようなものだろう。 こんな横暴で無茶苦茶なこと、自分の身に起きたらたまったもんじゃない。きっと大暴れしているに違いない。
 しかし実際、今の香穂子はそんな立場にあるのだ。
 取り乱すことも、暴れることもなく、受け止めて前に進もうとしている香穂子。そんな彼女を応援したい、と天羽は心から思っていた。
 もちろんコンサートのことも、だけれど、彼女の『恋』も応援したいのだ。
 恋する気持ちは、前へ進む力になる。
 想いが通じ、その相手が支えになってくれれば百人力だろう。
 それにしても── 、と天羽は心の中でひとりごちる。
 もちろん、香穂子と土浦のことだ。
 このふたり、傍(はた)から見ていると完全に出来上がったカップルに見える。
 昼休みにはしょっちゅうふたりだけで食事をしているし、放課後も一緒に練習していたり、一緒に下校していたり。 秋のコンサートの頃は学校が休みの日まで一緒に練習をして、その後あちこち遊びに出かけたりもしていたと聞いている。
 しかし、なんとももどかしいことに、実際はそうではないことを彼らのすぐ近くにいる天羽は知っていた。
 ふたりが一緒にいることは実に自然な光景だというのに、お互いに想いを伝え合っていないのだ。
 そこで『この天羽さんが一肌脱いで、ふたりの恋のキューピッドになってやろうじゃないの!』なわけである。
 思わず緩んでしまいそうになる頬をぎゅっと引き締め、
「そうそう、土浦くんが写真持って行かなかった?」
「あ、私の写真? うん、もらった。天羽ちゃんが間違えるなんて珍しいね、ってみんな言ってたよ」
「あ……あはは…」
 完全に自分のミス扱いにされているのかとがっくりしながらも、気持ちを奮い立たせて天羽は続ける。
「あの写真、今持ってるかな?」
「えと、私がもらった写真の中にも同じのがある、って言ったら、加地くんがほしいっていうからあげちゃった」
「あちゃー……」
 せっかく日野ちゃんの笑顔を独り占めさせてあげようと思ったのに!と心の中で土浦に向かって毒づいて。
「……ごめん、あれ、必要だった?」
「あ、ううん、いいのいいの。いくらでも焼き増しできるからさ!」
 最初の予定通り焼き増ししてやるか、と気を取り直す。
「じゃ、日野ちゃん、練習頑張って!」
「うん、ありがとね」
 そして、練習室を出た天羽は報道部の部室へと向かった。

 翌日、封筒に入れた写真を持って5組の教室へ向かおうとした天羽は、ふと途中の2組の教室の前で足を止めた。
 ── この写真を、世界で1枚しかない特別なのものにするにはどうしたらいいだろうか?
 しばし考え、ふと思いついたアイディアはあまりに安直ではあるが、彼がそうと知った時の破壊力は抜群だろう、とほくそ笑む。
 天羽はそのアイディアを実行すべく、意気揚々と2組の教室へ入っていった。
「日野ちゃーん!」
「あれ、天羽ちゃん、どうしたの?」
 自分の席で次の授業の準備をしていた香穂子の元に駆け寄り、
「お願いがあるんだ〜。ね、ちょっと目閉じてくれる?」
「え、どうして?」
「いいからいいから、ね、お願い!」
 怪訝な顔をしながらもすっと目を閉じる香穂子。
 それを確認してから、天羽は封筒の中から写真を取り出し、写真の中の香穂子の口元が実物の香穂子の唇に重なるように押し付けた。
「ぅわっ、なっ、なにっ !?」
 いきなり唇に何か得体の知れないものが触れたのだ、香穂子が驚くのも無理はない。
「ふっふっふ、日野ちゃんのキス、いただき〜♪」
 写真の角を指でつまんでひらひらさせていると、写っているのが自分だと気づいた香穂子が眉間に皺を寄せた。
「やだもう、自分の写真にキスなんて、どれだけナルシストなんだと思われるじゃないのー」
「やーねー、自発的にしたんならともかく、私が押し付けたんだから誰もそんなこと思わないってば〜」
 あはは、と笑い飛ばしながら、写真を丁寧に封筒の中に収めて。
「……その写真、どうするの?」
「ん?」
 訝しげな顔で訊いてくる香穂子に、天羽はニヤリと笑みを浮かべて、
「ふっふっふ、せっかくの日野ちゃんのベストショットを手放したおバカさんに届けてあげるのさ♪」
「えっ !?」
 届ける相手に気づいたのだろう、ボンッと音を立てたように香穂子の顔が一気に真っ赤に染まった。
「代わりにサッカー部の取材で撮り貯めた土浦くんの写真、あんたにあげるからさ」
 あまりの出来事に口をぱくぱくさせている香穂子の耳元にそう囁いて、天羽は満足な笑みを浮かべて2組の教室を後にしたのだった。

 数日後、いつの間にかちゃっかりアンサンブルに加わったという土浦を廊下で見つけた天羽は、さっそく声をかけてみた。
「や、土浦くん!」
「……よう」
「どう? あの写真、気に入ってくれた?」
 途端に強面で知られる土浦の頬にすっと朱が差したのが見えて、天羽は思わず吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
「気に入るも何も……まあ、よく撮れてたんじゃないか?」
「あはは、ありがとー。前に土浦くんが日野ちゃんに渡した写真、加地くんに渡っちゃったみたいだからさ、こないだのは特別仕様にしといたから大事にしてよね!」
「は? ……ちゃんとアルバムに貼っておいたさ。で、特別仕様って?」
「気になる?」
「そういう風に言われたら、気になるに決まってるだろ」
 さーてネタばらししてやりますか、と意気込む天羽。どんな反応を見せるやら……。
「写真の中の日野ちゃんの口元に、日野ちゃん本人にキスしてもらっちゃったんだ♪」
「はあっ !?」
 ボンッ、と赤くなる土浦。心なしか目が泳いでいる。
「……あんた、まさか……アルバムに貼る前に、写真の中の日野ちゃんにチュッ♥、なんて乙女なことしちゃったりとか !?」
「う、うるせえっ!」
「うわぁ……図星、なんだ……」
 すっかり固まってしまった土浦の肩をぽん、と叩いて、
「早いとこ実物にキスできるように頑張んなよ♪」
 早く気持ちを伝えて、あの子の支えになってやってよ。
 そんな思いを込めた悪魔の囁きを残し、天羽は顔をニマニマさせながら自分の教室へと戻っていくのだった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 続き、書いてみました(笑)
 恋のキューピッド!とか言いながら、完全に土日をオモチャにして遊んでる天羽ちゃん(笑)

【2008/03/31 up】