■聞かぬが仏
放課後の正門前。
授業が終わって間もない時間ではあるが、結構な数の生徒がウロウロしている。
カバン片手に友達としゃべってるヤツだとか、楽器の練習に勤しむ音楽科のヤツだとか、何をしてるんだかただうろついてるヤツだとか。
そんなヤツらの間をすり抜けて、俺は部活が休みである今日の放課後を寄り道でもして楽しもうかと浮かれつつ門へと向かっていると、
数メートル先に見知った2人連れを見つけた。
1人は体格のいい長身の男子生徒── この間までクラスメイトだった土浦梁太郎。
もう1人はちょっと跳ねた長い髪の、笑顔が可愛い女子生徒── 土浦の彼女、日野香穂子さん。
2人は俺が今着ているものとは違う制服を着ている。
そうだよな、あいつら、春から音楽科に移ったんだもんなー。
背の高い土浦は、頭ひとつ分低い日野さんを見下ろして何かしゃべっている。
と、日野さんは土浦の方を見上げて、はちきれんばかりの笑顔で何か答えて。
それに答えて土浦は日野さんの頭にポンと手を乗せた。
おーおーおー、土浦の顔の締まりのないこと!
前は『女には興味ねぇ』みたいなこと言ってたクセに、日野さん出現でコロッと手のひら返しやがって。
ま、土浦にとっちゃ日野さんとの出会いは『運命の出会い』だったのかもしれねーな。
……って、言っててなんだか虚しくなってきた…。
久しぶりに見かけた親友に追いついて声をかけるのは簡単だけど……。
ふっ、俺はそんな野暮な男じゃないぜ。
俺は適度な距離を保って、2人の後ろを歩く。
……途中まであいつらと同じ帰り道なんだよなぁ、くそぉ。
おっ?
最初の交差点で、2人はいつもの通学路とは違う方向へ曲がっていった。
あいつら、寄り道か? まあ、時間も早いことだしなぁ。
俺はなんだかほっとしつつ、その交差点を突っ切り、自宅へと向かう。
── あ、いっけね。俺、寄り道して遊んで帰ろうと思ってたんだっけ。
ここまで来たら寄り道は諦めて、おとなしく家に帰るか、と溜息を吐いたところで、ポケットの中で携帯が賑やかに鳴り始めた。
ピッ。
「あ? うん……はぁ? わかったわかった、買って帰りゃいいんだろ」
ピッ。
たたんだ携帯をポケットに突っ込んで。
電話の相手はウチの母親。明日の朝のパン買い忘れたから、スーパーに寄って買ってきてくれ、だと。
しょーがねぇ、さっさと済ませて帰るか。
俺は今来た道を引き返した。
* * * * *
スーパーの中は夕飯の買い物をするおばちゃんたちで賑わっていた。
えーと、パン売り場ってどこなんだろう。
スーパーなんて滅多に来ないから、どこに何があるかなんて全然わかんねーや。
野菜売り場を突っ切ろうとしたところで、
「さーて、今日は何作るかな」
聞き覚えのある声が聞こえた気がして、キョロキョロと辺りを見回した。
うおっ !! つ、土浦と日野さんっ !?
そ、そういやあいつら、こっち方面に曲がってったけど……まさか行き先がこのスーパーだったとはっ!
俺は見てはいけないものを見たような気がして、陳列棚の陰に慌てて身を隠した。
だがしかし!
ちょっと興味もなくはないので、頭をそーっと出して様子を覗ってみる。
「お前、何食いたい?」
カゴを乗せたカートを押しながら土浦が聞く。
日野さんは人差し指を顎に当て、宙に視線を漂わせながらしばし考えて、
「んー…天ぷら、かな」
「おっ、いいな」
くはーっ、野菜売り場のど真ん中で繰り広げられる『新婚カップルのお買い物』的光景っ!
見てるこっちが照れちまうぜっ!
「あー、頭の中が天ぷらモードになっちゃったから、家に帰って違うもの出されたらがっかりしちゃいそう」
「じゃ、食ってけよ。どうせレッスンでウチ来るんだし、お前来るとウチのヤツら機嫌いいし」
「そう? あーん、魅力的な誘惑〜。ちょっと家に電話してくるね」
日野さんは土浦にヴァイオリンのケースを押し付けると、カゴの中にドサリとカバンを入れて、中から携帯を取り出し店の外へ。
ケースを大事そうに抱えた土浦は、野菜を物色しつつカゴの中に放り込んでいく。
すぐに日野さんは戻ってきて。
「なんて?」
「うん、『お行儀よくしなさいよ』だって。今さら猫かぶってもしょうがないのにねー」
「だな」
あはは、と2人して笑い合う。
……それって、猫かぶる必要のないほどの、いわゆる『家族ぐるみのお付き合い』ってヤツですか?
そして2人は魚売り場へ。
土浦がエビの入ったパックを持ち上げると、日野さんはそれを覗き込みながら、
「この間エビフライ作ったんだけどさ、油が跳ねまくって大変だったよ」
「お前、ちゃんとシッポの先切って水出したか?」
土浦の呆れたような声。
「だって知らなかったもん。後でお母さんに聞いて始めて知ったんだよね」
つ、土浦って『お料理うんちく王』 !?
確かに前に家で料理するとは聞いたことあるし、調理実習の時の手捌きはタダモンじゃないとは思ってたけどさ……いやあ、ここまでとは思わなかったぜ。
「そうそう、この前梁に教えてもらった料理、お母さんに教えたらね、すごく感心してたよ」
「そ、そうか…? ま、俺もテレビの受け売りだけどさ」
「でも、うちじゃみんな梁のこと『シェフ』って呼んでるよ」
「お前なぁ……逐一親に報告すんなよ。今度会った時に、どんな顔すればいいかわかんねぇだろうが」
「えー、いいじゃない」
「だが………フランス語で指揮者のことを『Chef d'orchestre』っていうんだよ。だから悪い気はしないな」
「へー、そうなんだー。じゃ、梁にピッタリだね」
日野さんは土浦を見上げてにっこり笑った。
うわー、その笑顔は破壊力バツグンだぜ。
現に土浦のヤツ、赤い顔して目を泳がせてるし。
「ねえねえ、もしいつか留学したら、アパートとかに住むんだよね?」
「だろうな。って、お前、留学するつもりなのか?」
「そうじゃなくて、もしも、の話だよ。もし留学したら、部屋、隣同士がいいよね」
「まあ……そりゃあな。でも、なんだよ、いきなり」
「お隣だったら私の食生活は安泰だなー、と思って」
「お前……毎日俺に晩メシ作らせる気かよ?」
「えー、だって梁の方がお料理上手だし」
「じゃあ、俺が晩メシ作るんなら、お前は朝メシ係決定な」
「いいよー、トーストとコーヒーくらいならね」
「あのな、日本人なら米の飯に味噌汁だろうが」
「えーっ、朝からお味噌汁作るのー !?」
「当然。味噌汁だけじゃなくて、簡単なもんくらい作れるようになっとけよ」
「努力してるってば」
むぅ、と頬を膨らませる日野さんの頭にぽふっと手を乗せる土浦。
お前らさぁ、それって『隣同士』通り越して『同棲』の相談にしか聞こえねーんだけど。
俺、ツッコミ入れることすら忘れちゃってたよ。
つーか、一緒に留学するのが前提なんですね、おふたりさんっ。
それから2人は粉モノの売り場へと移り。
土浦は2種類の天ぷら粉を手に取って見比べている。
「行くとしたら、やっぱりウィーンかな」
「はぁ? なんで」
「だって王崎先輩も月森くんもいるし、ご近所さんになったりしたらおもしろいじゃない?」
おっ、土浦がイヤそうに顔をしかめたぞ。
そりゃそうだよなー、自分のカノジョの口から他の男の名前が出ちゃあ、心中穏やかじゃないさ。
「知ってる人がいたら心強いし、鍋パーティとかしたら楽しいよ、きっと」
「王崎先輩はともかく、なんでウィーンくんだりまで行って月森と鍋食わなきゃならないんだよ」
「えー、やっぱり鍋はひとりでも人数多いほうが楽しいもん」
と、ここで土浦の苦〜い表情がふっと緩んだ。ちょっと考えて、
「……まぁ、たまになら、な」
あーーーっ、今の勝ち誇ったような顔っ!
鍋を囲みながら日野さんとラブラブなところをその2人に見せ付けてやる、とか考えたろ! 絶対そうだ! そうに違いないっ!
けど、留学先ってそんなゆる〜い感じで決めちゃっていいのかよ。
ていうか、そもそも留学ってそんな簡単に行けるもんなのかっ !?
「えーと…材料はこんなもんかな」
「そうだね」
「……あ、忘れてた」
「え、なになに?」
カゴの中身をチェックしていた土浦は、何か買い忘れを思い出したのか、カートを押してずんずん進み、その後を日野さんがちょこちょこついていく。
向かった先はお茶売り場。
土浦は棚の上の方から小さな缶を手に取った。
「なにそれ?」
「抹茶」
「えっ、もしかして梁ってば茶道やるの? 柚木先輩みた〜い」
「なっ…茶道なんかしねぇって。抹茶塩にするんだよ」
「まっちゃ…じお?」
「天つゆもいいけど、抹茶塩で食べるのもさっぱりしていいんだ」
「えーっ、天ぷらにつけて食べるんだ?」
「そ、前にテレビでやっててさ。試してみたらなかなかイケたんだよな」
「へ〜」
再び土浦の『お料理うんちく』が炸裂!
お前、いっそのこと料理人の道へ進んじゃえば?
「デザート、どうする?」
「んー、揚げ物の後だから、さっぱりとフルーツ、かな」
「了解」
うっわ〜、食後のデザートまで!
至れり尽くせりだなー。
土浦はくるりとカートの向きを変え、こっちに向かってくる。
おっとやばいやばい、逃げなくちゃ!
と、俺ははたと気づく。
周囲に漂う甘い香りに。
うげっ、俺、果物コーナーに来てんじゃんっ !?
こうなったら、偶然を装って『よお』と普通に声かけるか?
だが、これまでの会話を盗み聞きしていたという罪悪感もあって、俺は身を隠すことにした。
って、隠れるってどこにっ !?
パニクった俺は土浦が姿を現すであろう方向へ背を向け、さも『買い物中です』と言わんばかりにそこらのモノを掴んでいた。
頼むから俺のことなんかスルーしてくれっ !!
「お……実川…?」
背後からかけられる声。
うわーんっ、見つかっちまったーっ!
そりゃそうだよな、おばちゃんたちに混じって制服の、それも男が果物コーナーにいりゃ、そりゃ目立つよな。
俺はギギギッと油の切れた機械のようにゆっくりと振り返る。
「よ…よぉ土浦、久しぶり」
「おう、珍しいな、こんなとこで会うなんて」
「だだだだだよなっ、俺さ、おふくろにパン買って来いって頼まれちまってさ。ったく、人使い荒くて困るよ、はははははっ」
「………それ、リンゴだぞ?」
「え、あ…うわぁっ!」
すがるように掴んだモノがリンゴだったことに初めて気づいて、俺は思わずそのリンゴを落としそうになった。が、なんとか落とさずに済んで元の場所に戻す。
「つ、土浦こそ、食料品そんなに買い込んじゃって」
「ああ、俺、今日メシ当番なんでな」
くうぅ、『いつものことです』みたいな涼しい顔しやがって!
「じゃ、じゃあ、また、学校でなっ!」
その場にいることがいたたまれなくなった俺は2人に向かってシュタッと手を上げると、脱兎の如く逃げ出した。
「どうしたのかな、実川くん」
「さあ……ヘンなヤツ」
そんな会話を背後に聞きながら。
お前ら2人の新婚さん会話にアテられてたんだよーっ !!
あーもー、妙な興味なんか持たずにさっさと帰りゃよかったぜーっ!
俺は偶然たどり着いたパンコーナーの棚に凭れて、乱れた息を整える。
そして俺は誓った。
もう二度とスーパーなんかに足を踏み入れまい、と!
〜おしまい〜
【プチあとがき】
いや、だからなんだと言われても。
買い物中、カート押しながらふと浮かんだもので。
ごめんよ、実川くん(笑)
【2007/10/23 up】