■TEA BREAK
11月のある日。
週末に控えた文化祭を前に、星奏学院はクラスや部活動での出し物の準備に精を出す生徒たちで活気に満ち溢れていた。
それとは別にバンドとアンサンブルコンサートのステージを抱えている日野香穂子も忙しさに目の回るような日々を送っている。
今日もアンサンブルの練習を終え、同じ方向へ帰途に着く土浦梁太郎と肩を並べ、すっかり秋も深まった通学路を歩いていた。
「── そういやお前のクラス、何やるんだ?」
「うち? うちは喫茶店。『イギリスのアフタヌーンティー』がコンセプトなんだって」
「へぇ、じゃあスコーンとかショートブレッドとかが出てくるのか?」
「うわ、正解! よくわかったね」
「ま、まあな。アフタヌーンティーと言えばそんなもんだろ」
身長差のせいで、香穂子は下から見上げるようにして嬉しそうにニコリと笑う。
その屈託のない笑顔に土浦の心臓がピョコンと跳ねた。動揺を悟られないように外した視線は宙を彷徨う。
土浦が苦手としている『女』とは一味も二味も違っている香穂子とは、一緒にいて楽だった。打てば響くような軽快な会話は男友達と一緒にいる時のような気安さで楽しい。
だがしかし。
香穂子はあくまでも自分とは違う性別なのだ、と意識し始めてからは、違った意味で居心地が悪くなっていた。
胸の奥底がくすぐったくなるような、心地よい居心地の悪さ。
矛盾してるよな、と自嘲混じりに心の中でひとりごちる。
「最初に決めた時は確か『コンピュータ占い』だったはずなんだけど……いつの間にか変わってた」
「は? いつの間にか、って……話し合いはLHRの時にやったんだろうが」
「うん、そうなんだけどね……なんかうとうとしちゃったみたいで、気づいたら終わってたんだ」
「ま、ずっと頑張ってるからな、お前。疲れがたまってるんじゃないのか? …あんまり無理すんなよ?」
「うん、ありがとう。でも、毎日楽しいから大丈夫だよ」
えへ、と香穂子が笑う。
思わず手を伸ばして、頭の上にぽん、と手のひらを乗せた。
美しい音色を生み出す細い指先にも、アンサンブルを纏めるという責任がのしかかった華奢な肩にも、まだ触れる勇気がないから。
くすぐったそうに肩をすくめる香穂子の頬がほんの少し赤く染まったような気がしたのは気のせいだろうか。
慌ててその手をポケットに乱暴に突っ込んだ。
柔らかい髪の手触りと感じていた温もりを閉じ込めるように、ぎゅっと拳を握る。
「── で、お前もやるのか? その…、ウェイトレスとか」
「うん、1日目の午前中。みんなコンサートを優先させてくれてて、準備は任せっきりになっちゃってるから、それくらいはやらなきゃね」
「超優遇だな」
「うん、ありがたいよね、ほんとに」
ふと、香穂子が足を止めた。
話しているうちに、香穂子の家の前に着いていたのだ。
こんな時、『香穂子の家がもっと遠ければいいのに』といつも思う。
あ、そうだ、と香穂子がポケットを探り、何かを差し出した。
「ん? なんだ、それ」
土浦は香穂子の差し出した紙片を怪訝そうに見る。
赤い色画用紙になにやら印刷したものを名刺大にカットしたものだ。
「ご招待無料チケット。土浦くんにあげる。誰か友達誘って来てよ」
えへ、と笑う香穂子から受け取ると、確かに紙片は2枚。
「…サンキュ。ありがたくもらっとくぜ」
「じゃ、また明日ね!」
ひらりと手を振って、香穂子は玄関に飛び込んだ。バタンと閉まった扉の向こうから『ただいまー』と叫ぶ声が小さく聞こえ、思わず吹き出した。
土浦はなぜか急に肌に感じた晩秋の空気の冷たさに身体を震わせた。そして、おもむろにポケットに手を突っ込むと、指先に感じる紙の感触を確かめながら家路を急いだ。
そして土曜日── 文化祭1日目。
土浦が学校へ向かう坂道を登っていると、少し前にどんよりとした暗い影を背負ったような後ろ姿があった。
少し歩を早めるだけで、とぼとぼと歩く相手にはすぐに追いつく。
「よ、日野」
隣に並んで声をかけると、香穂子はこの世の終わりのような顔をしてピキンと固まった。
「お、おい、どうした? 何かあったのか?」
俯いた香穂子は眉間に深い皺を刻み、目はうろうろと辺りを彷徨っている。
「日野?」
「……えーと…あのね……うちのクラス………来なくていいから」
「は?」
香穂子がグッと下唇を噛んだ。
「だから……ほら、土浦くんもいろいろ忙しいでしょ? 無理して来なくていいからね」
「……なんだよ、それ」
「ごめん……私、準備があるから先行くね!」
ダッと駆け出した香穂子の後ろ姿を呆然と見送った。
「……なんなんだよ」
ポケットに大事にしまったチケットが、ズシンと重くなったような気がした。
「土浦ぁー!」
クラスの当番を終え、少し早いが講堂に行ってベースのおさらいでもするか、と思っていたところに声をかけられた。
同じクラスの実川俊だ。
「なんだ?」
「お前、バンドまでまだ時間あるんだろ? どっか回ろうぜ」
「……いいよ、俺は」
「なんだよ、ノリ悪いな。バンドとアンサンブルの激励をこめておごってやるって。行こうぜ」
そうまで言われれば、断るのも悪い。仕方なく先を歩く実川の後を追った。
「……おい、ちょっと待て」
実川が入っていこうとしているのは、自分のクラスから2つしか離れていない教室。
「え、なんで? 大評判なんだぜ、ここ」
来るな、と言われたのはついさっき、今朝のことだ。入るわけには──
「おごられるヤツがワガママ言うなって」
ぐいっと腕を引っ張られ、問答無用で中へと引っ張り込まれた。
ふわりと鼻をくすぐる紅茶の香りと、楽しげなざわめき。
教室の中は、ちょっとしたカフェの雰囲気だった。
いつも授業で使う机が4つずつまとめられ、タータンチェックのテーブルクロスがかけられていて、そのほとんどにお茶とお菓子を楽しむ生徒の姿がある。
空いている席に座り、身体をひねって後ろを見回すと、教室の奥の一画がカーテンで仕切られていて、人の気配がある。どうやら厨房代わりのようだ。
そこから制服を肘まで腕まくりした女子生徒がひょこっと顔を出し、すぐに引っ込んだ。
「3番にお客さんだよ!」
身体を戻してふと下を見れば、『3』とマジックで黒々と書かれた小さな紙が机の端にテープで貼られていた。
「はーい」
ドキン。
聞き間違えるはずのない声。
背後から近づいてくる急ぎ足の足音。
「おっ♥」
見れば向かいの席に座る実川が顔をだらしなく緩ませて土浦の背後を見つめていた。
彼がそんな顔になるものを確認したいと思いつつも、振り返る勇気もない。
と、真横でふわっと空気が動いて、近づいてきた人物がおじぎをしたのだとわかった。
その人物は身体を起こしたのだろう、すぐにすぅっと引っ張られるように空気が動いて、それにつられるように土浦の顔がそちらへと向く。
「お帰りなさいませ、ご主人さ」
バチン、と音を立てて視線が絡み合ったような気がした。
目を見開いた香穂子が口を開いたまま硬直している。
ガタンと椅子が大きな音を立てた。
土浦は椅子から滑り落ちそうになった身体を、背凭れにしがみついてなんとか落とさずに済んだ。
二人はそのまましばし見つめ合い、
「── ま♥」
先に我に帰った香穂子が、律儀にも言いそびれた最後の一文字をニコリと笑って付け足した。
「お前……その格好…」
「ああ、これ? どう、似合う?」
香穂子はくるりと1回転してみせる。黒いミニワンピースのスカートの裾がふわりと広がった。
実川が『日野ちゃん、萌えー!』と叫べば、香穂子は『ありがとー!』と答える。
三つ編みにした頭にはレースをあしらった細めのカチューシャをつけ、ワンピースの上にはたっぷりとしたフリルのついた真っ白なエプロン、レースつきの白いニーソックスに
厚底の黒いエナメルの靴。おまけにさっきのセリフはまさしく──。
「なんか知らないうちに『メイド喫茶』になっちゃっててさ〜」
カラカラと笑う香穂子。
土浦は香穂子のメイド姿が直視できなくて、顔を背けてしまった。その顔はやけに熱い。
「……なんだよ、人には来るなとか言っておいて、やけに楽しそうじゃねえか」
「そう…なんだけどね……今朝は死ぬほどイヤだったんだけど…、その、だんだん気にならなくなってきたっていうか、むしろちょっと楽しくなってきたっていうか……」
ちらりと横目で覗えば、香穂子は手にしていた丸い銀のトレイで口元を隠してもごもごと呟いていた。
思わずぷっと吹き出してしまった。
「お前、恐ろしいほどの順応力だよな」
「そうかなー、あはははは。おっと、お仕事お仕事。えーと、お持ちのチケットをいただけますか?」
少しくたびれた2枚の赤い紙をポケットから出して、香穂子が差し出すトレイの上に乗せる。
「スコーンとショートブレッド、どちらになさいますか?」
「…スコーン」
「あ、俺、ショートブレッド!」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
香穂子はペコリと頭を下げてカーテンの奥に姿を消した。
「なになに土浦、タダ券もらってたの?」
実川が身体をテーブルに乗り出して声を潜めて訊いてきた。
「ああ」
「日野ちゃんから?」
「……いいだろ、誰からでも」
「土浦ぁ、顔赤いぞ〜」
「うるせぇ」
程なくして香穂子が運んできた紙コップになみなみと注がれた紅茶と紙皿に乗せられたスコーンを平らげ、
次から次へと入ってくる客の対応に追われて走り回る香穂子に声をかけることもできぬまま、
この後も香穂子は例の『お帰りなさいませ、ご主人さま』を幾度となく繰り返すのであろうことに妙な腹立ちを感じつつ、土浦は2組の教室を後にした。
午後になり、バンドのステージに立つメンバーたちは講堂の控え室に集まっていた。
出番まであと10分、といったところ。そろそろ舞台袖に控えておかなければならない時間だ。
しかし。
「日野ちゃん、遅いね」
火原が開く気配のない扉を見つめてぽつりと漏らす。
「おかしいな、僕が教室を出る時に、日野さんもすぐ行くって言ってたんだけど」
香穂子と同じクラスの加地が腕時計を見た。
「あの…、私、お呼びしてきましょうか…?」
バンドには参加しない冬海がおずおずと申し出る。
「そうだね…ここは冬海さんにお願いしようか」
柚木がそう答えたところで、バタンと大きな音をたてて扉が開いた。
「遅くなってすみませんっ!」
片手に制服を抱え、片手にいつも履いているローファーを掴んだ香穂子がぜいぜいと肩で息をしている。
土浦と加地以外は、その姿に言葉を失っている。
そう、香穂子は時間がなかったためにメイド姿のままここまで来ていたのだ。
「まだお客さんいっぱい?」
「そうなのよ〜、なかなか抜けられなくって。おまけにこの靴、走りにくいったらありゃしない」
クラスの状況を訊く加地に、ぱたぱたと手をうちわにして扇ぎながら答える香穂子。
その様子を火原は鼻血でも吹きそうなほどに顔を真っ赤にし、柚木は口元に笑みを湛え、志水はぽわんと顔を緩ませ、月森までが頬を赤く染めて見つめていた。
そんな光景に土浦は苛立ちを覚えていた。
「ねえねえ日野ちゃん! その格好って何 !?」
「えと、うちのクラス、喫茶店やってて」
「ウェイトレス !?」
「ええ、まあ…そんなところです」
「じゃあ、バンドのステージ終わったら、みんなで日野ちゃんのクラスの喫茶店行こうよ!」
火原の提案に他の3人の目が輝いた。
「あー、私の当番は終わっちゃいましたけど、ぜひどうぞ〜」
「えーっ、日野ちゃんがいないんなら意味ないじゃん!」
4人が揃って肩を落とす。
と、ガンガンガンと扉が叩かれ、顔を出したのは文化祭実行委員。
「Stellatoさん! スタンバイ急いでください!」
「えーっ、私、まだ着替えが──」
「いいよそのままで! 可愛いし似合ってるし!」
火原は香穂子の手から荷物を取り上げると、制服は机の上へ、靴はその下へと置いた。
「それ、いいかも。うちのクラスの宣伝にもなるし」
「えっ、あっ、あのっ、火原先輩 !? 加地くんっ !?」
そのまま火原と加地は香穂子の腕を掴んで舞台のほうへと引きずっていく。
その後に続くいつもとは違う楽器を抱えたメンバーたち。
最後尾でベースを抱え、不機嫌を隠さぬ仏頂面で歩いていた土浦ははたと気づいた。
同じクラスの加地は別として、他のメンツが香穂子のクラスが喫茶店をやっていることを知らなかったということは、香穂子直々にご招待を受けたのは自分ひとりだ、と。
そう思えば、いろいろあった行き違いも、香穂子のメイド姿に鼻の下を伸ばしているヤツらへの苛立ちも、帳消しにしてお釣りが来るってものだ。
土浦はすっかり軽くなった足取りでステージを目指した。
そして、メイド姿のディーヴァは熱狂的な歓声と拍手によって聴衆に迎えられ、2年2組の前には噂を聞きつけた人たちで1時間待ちの行列ができた。
後日、報道部が撮影したバンドライブのとある1枚の写真は驚異的な売り上げを見せ、報道部の懐はこれ以上ないほどに潤ったという。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
昨日の朝、ワイドショーで『中国でオタク族が!』みたいなのをやってまして。
中国人女子大生がメイドコスやってるってのを見たんですよ。
あっちは二次絵なんかよりもコスプレが主流だそうで。
鰤コスの人がたくさん映ってました。
で、思いついたのがこのお話。
ていうか、文化祭でメイド喫茶って、ありえねー(笑)
【2007/09/01 up】