■ふぉとぐらふ 土浦

 ある日の昼休み。
 エントランスの喧騒の中、ひとり佇む日野香穂子。
 4時間目が教室移動だったせいで出遅れた香穂子は、パン調達のためにあの購買の殺気漂う人だかりに飛び込むか、いっそカフェテリアに行くか、頭を悩ませている真っ最中だった。
「や、香穂! いいところで会った!」
 後ろから声をかけられ、くるりと振り向けば、天羽菜美が長いウエーブヘアを揺らして駆け寄ってくるところだった。首からは愛用の一眼レフのカメラをぶら下げ、 揺れないように片手でしっかりと支えている。
「あ、菜美。なあに?」
「あんたに渡すものがあったのさ」
 天羽はポケットから二つに折った茶封筒を出すと、香穂子に差し出した。
「例の写真だよ。遅くなって悪かったね」
「写真…? えーと…、コンサートの?」
 3ヶ月間、みっちり香穂子たちに密着取材していた天羽からは、年明けになってこれでもかというほどたくさんの写真をもらった。まだ残っていたのだろうか、と香穂子が小首を傾げると、 天羽はあはは、と豪快に笑った。
「違う違う。ほら、前にかくまってもらった時、焼き増ししたげるって約束してたやつ!」
「……あー」

 クリスマスコンサートを控えた12月のこと。
 教室で友人たちと弁当を広げていたところに飛び込んできた天羽。ひどく慌てた様子で『何も聞かずにかくまって!』と言う。
 事情を聞く間もなく、天羽は教卓の下に姿を消し、入れ替わるように姿を現したのは誰あろう、土浦梁太郎であった。
「天羽が来ただろ。どこだ?」
 鬼の形相で香穂子を問い詰める土浦。
 香穂子は別になんとも思わないが、ちょっと気の弱い子なら卒倒しかねない恐ろしさだ。実際、香穂子と昼食を共にしていた東雲乃亜と上条須弥は抱き合って小さくなって震えている。
「あ、えーと、その…」
 今でこそ彼氏・彼女の関係ではあるが、土浦はその当時ただの友人── もちろんすでに特別な想いは抱いていたけれど。
 かたや天羽も大事な親友である。
 『特別な友人』に嘘をつくのも嫌だし、かといって『大事な親友』を売るわけにもいかず。
 何と答えようかと言葉を探していると、土浦が大仰な溜息を吐く。
「……さてはお前、天羽に『かくまってくれ』とか言われたな?」
「えっ !?」
 土浦は腕を組み、威圧するようにギロリと睨んでくる。
 なんで私が睨まれなきゃいけないのよーっ!と思いながらも、正解なので何も言えず。
 と、土浦が何か呟いていた。口の中でブツブツと言っているので聞き取れない。
「え、なに? どうかしたの?」
 香穂子が問うと、土浦ははっとした顔を少し赤らめ、組んでいた手を解いてポケットに突っ込んだ。
「え、いや、別に何でもない。……普通にメシ食ってるところを撮られたんだよ。と、とにかく、天羽見かけたら、現像したら許さねぇって言っとけ」
 土浦はポケットから出した片手をひらりと振って、じゃあな、と教室を出て行った。
 その後、危険が去ったのを確認して出てきた天羽は、簡単な事情説明と写真の焼き増しを約束して香穂子の前から立ち去ったのだ。

 受け取った封筒を逆さまにして振ると、1枚の写真が滑り落ちてきた。
「すぐに気づかれちゃって1枚しか撮れなかったんだけどさ。結構よく撮れてるでしょ?」
 天羽は、ふふん、と自慢げに鼻を鳴らす。
 香穂子は写真を見た瞬間、ぶはっと吹き出した。
 欲張りなリスが頬袋いっぱいに木の実を詰め込んだようにふくらんだ頬。
 目は前の席に座る男子生徒の背中を見ているようで、実際はそれを通り越して遥か遠くを見ているようで。
 左手は弁当箱を押さえているが、箸を持った右手は宙に止まっている。
「ね、面白いでしょ? このままの姿でしばらく固まってたんだよ〜」
「ぷっ、あはははっ、『硬派・土浦』が台無しだ〜」
「いつも私がカメラ向けると、眉間に皺寄せてすんごい迷惑そうな顔するからさ。なんか新鮮で、思わず撮っちゃったんだよね」
「ふふっ、何考えてたらこんな顔になるんだろうね〜」
「そりゃあもちろん、あんたのことじゃないの〜?」
「え〜っ !? そうでもないかもよ〜。『今日の夕飯、何作ろうかな』とかだったりして」
「あははっ、ありえるありえる!」
 二人は写真に夢中で背後から近づく人影に気づいていなかった。
「よう、女ふたりでやけに楽しそうだな」
 かけられた声に二人はピキンと音がしそうなほどに素早く姿勢を正した。
「あ、あはは……や、土浦くん」
「つ、土浦くんも、い、今からお昼…?」
「ああ、4時間目が体育だったから出遅れちまった。やっぱ人多いな、購買。お前も昼メシまだなら、一緒にカフェテリアにでも行くか?」
「そ、そうだね、そうしようかな」
 香穂子と天羽は肩をぴたりと寄せ合い、顔には作り笑顔を張り付かせている。香穂子は後ろ手に写真を封筒の中に落とし込み、 中の写真を折り曲げないように注意しながら封筒を折りたたんだ。
「じゃ、私はこれから部室行くから。おふたりさん、さらばっ!」
「え、菜美っ !?」
 天羽は『あとは任せた』と言わんばかりにウィンクひとつ、緩やかなカーブを描く階段を駆け上がっていった。
「行こうぜ」
 立てた親指でカフェテリアの方を指し、ポケットに手を突っ込み歩き出す土浦。
「あ、うん」
 香穂子は小走りで追いつき、定位置である土浦の左隣に並ぶと、上着の左ポケットに封筒を滑り込ませ、ほっと小さな息を吐いた。

 昼食を済ませ、温かい飲み物を手に森の広場へ。
 よく晴れた空は青く高く、降り注ぐ日差しは春のように暖かい。
 並んでベンチに座ったものの、香穂子はポケットの中の写真が気になって、話題を見つけられずにいた。
 そんな香穂子を訝しく思ったのか、土浦は怪訝な顔で尋ねてきた。
「どうした? なんか悩んでんのか?」
「えっ !? そそそそそんなことない!」
「ならいいが」
 土浦は座り直して香穂子の方へ身体を向けると、左手を香穂子の右肩にそっと乗せた。
 ほんの少しだけ笑みを浮かべた顔が近づいてきて、香穂子の顔に射していた柔らかな陽光を遮った。
『え…!?』
 次に行われるであろう事を予想して、香穂子は思わずぎゅっと目を瞑った。
『や、やだっ! ここ学校なのにっ! 土浦くんってば大胆っ!』
 目を瞑っていても覆い被さられるのが感覚でわかる。香穂子はこくりと唾を飲み込んだ。
 カサリと乾いた音が小さく聞こえ──
『え………?』
 予想していた場所には何も触れず、再び陽の光が降り注ぐ顔はほのかに暖かい。
「なんだ、これ?」
 がさがさと音がする。
 パチリと目を開けた香穂子が見たのは、見覚えのある茶封筒を開いている土浦の姿だった。
「えっ……、あっ、み、見ちゃダメーっ!」
 はらりと手の中に落ちてきた写真を見た瞬間、土浦の怒りメーターはMAXを通り越して針が振り切れた。

「もう……こんなビリビリにしちゃうことないのに…」
 5時間目の準備を促す予鈴と共に広場を後にして、教室へ向かう途中。
 香穂子が振った茶封筒の中身がカサカサと音を立てる。
 中に入っているのはジグソーパズルのように細かくなった写真── もちろん、土浦が怒りに任せて引き裂いたものだ。
「うるせえ……くっそー、天羽のヤツ…っ」
 エントランスで香穂子たちに声をかけた時からおぼろげながら嫌な予感はしていた。天羽が関わるとロクな事がない、と頭に刷り込まれている。 二人揃って挙動不審の作り笑顔だったし、香穂子が後ろ手にこそこそやっているのも、ポケットにそれを収めてほっとした顔をしたのも、 食事の間もそのポケットをしきりに気にしていたことにも気づいていた。
 食事の後、香穂子を森の広場に誘い出したのも、ポケットの中身を確認するためだった。
 顔を近づければ香穂子は目を瞑る── そう踏んだ土浦は目論見通り香穂子が目を瞑った隙にポケットから封筒を抜き取ることに成功したのだ。
 まさかその中に、あの時の写真が入っているとは思っていなかったが。
「別にいいじゃない。誰だって考え事することあるんだし」
「じゃあお前はいいのか? 口いっぱい頬張って、ぼーっとしてるところ写真に撮られても」
「私は口いっぱいに頬張ったりなんかしませーん」
 土浦はチッと舌打ちする。
「でもさ、何考えてたの? この時」
 カサッと香穂子が振った封筒をいまいましそうに睨んだ土浦は、「別に」と吐き捨てた。
「えーっ、やましいこと考えてたんじゃなければ、教えてくれたっていいじゃない」
 『やましいこと』と言われ、土浦はギクリとした。が、眉が僅かに動いただけで、なんとか顔に現さずに済ませることには成功した……と思う。
 別にピンク色漂う妄想をしていたわけではないが、やましいこと、と言えばそうなのかもしれない。
 あの時、土浦は香穂子のことを考えていたのだ。
 ── 最近の香穂子の音に、得も言われぬツヤというか色気というか、そういうものを感じるようになった。その原因は自分にあると思っていいのだろうか?  自分も音が変わったと言われるようになった。それは明らかに香穂子の存在に原因があると自覚している。登下校も一緒で、休日も一緒。以前は練習のついでにどこかに寄る、 という感じだったが、最近は練習にかこつけて休日の約束を取りつけている、という感じだ。それは第三者から見れば立派に『デート』と呼ばれるもので、 約束の日の前日は遠足の前の日の子供のように気分が昂ぶって、なかなか寝付けなったりもする。……あいつはどうなんだろう? クリスマスコンサートが終わったら、 この気持ちを言葉にしてみようか。だが、そのせいで今の関係が崩れてしまったら……いやそれはないだろう、いつも誘えば二つ返事でOKなわけだし。 やっぱクリスマスの計画、立てておいたほうがいいんだろうな──。
 そんなことを悶々と考えている最中に、派手なシャッター音で現実に引きずり戻されたのだ。
「あのなあ……お前、しつこいぞ。いいだろ、俺がメシ食いながら何考えてても」
「えー、気になるぅ〜」
 香穂子はなおも食い下がる。騙された感たっぷりの今、なんとか逆襲してやろうと意地悪モード全開になっているのだ。
「あーっ! もしかして、私のこと考えてたんでしょ?」
 ごふっ、と妙な音を立てて土浦がむせた。その顔は明らかに朱に染まっている。
「えっ、や、やだっ、もしかしてアタリ !?」
 急におろおろし始めた香穂子がほんのり赤く染まった頬を両手で押さえた。
「わ、私もあるよ! 土浦くんのこと考えてて、お風呂で溺れそうになったこと!」
「……お前それ、寝てたんじゃねえのか?」
「違うよ! 正真正銘、土浦くんのこと考えてました!」
 香穂子のストレートな告白が照れくさくて顔が合わせられず、土浦は隣を歩く香穂子の頭にぽふんと手を乗せた。
「あーっ、信じてないでしょ!」
「んなことないって── ほら、早く教室入らないと、先生来ちまうぞ」
 香穂子の頭に載せていた手をひらりと振って、自分の教室を目指す。
「うん、じゃあまた、放課後にね!」
 声に引っ張られるようにちらりと後ろを振り返ると、2組の教室の前で笑顔で手を振る香穂子の後ろに次の授業の教師の姿が見えて、土浦は慌てて教室に飛び込んだ。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 オチがない……。
 まあ、そんなヌルイ日々もあるんだろうな、と。
 これも昼休みイベントからのネタです。
 あたし的には選択肢で土浦にバラしたときの、
 『残念だったな、こいつは俺の味方なんだよ』
 が好きだったりするのだが。

【2007/08/24 up】