■ホーンテッド・アトラクション 土浦

「── で、どうだった?」
「別に……へっちゃら、かな」
 2年5組の教室から出てきた日野香穂子の、土浦梁太郎からの質問に対する答えである。
 星奏学院高等部文化祭第1日目──土浦が属する2年5組の出し物は『ホーンテッド・キャッスル(恐怖の城)』と名付けられた洋風お化け屋敷で、 教室の中ではオオカミ男やフランケンシュタインたちが城に迷い込んだ者たちを恐怖のどん底に落としていた。
 今も中から耳をつんざくような悲鳴が聞こえてくる。
「……一人で入ってケロッとしてるとは……怖がらせ甲斐のないヤツだな、お前」
「そりゃ突然物陰からばぁっとか出てこられたらドキッとはするけど、オオカミ男にしてもフランケンにしてもファンタジー世界の住人みたいなものじゃない?」
「ファンタジーってお前……」
 教室の前の廊下でご案内係をしていた土浦は、あまりにもあっけらかんとしている香穂子の様子に肩をがっくりと落とした。
 コンサートの準備もあってクラス関係ではオオカミ男のマスクを作っただけではあったが、あれこれ考えていかに恐怖を与えるか策を巡らせた出し物だけに、 悲鳴のひとつも上げてもらわねばがっくり来るのも当然である。
 目の前の香穂子は『それが何か?』といった顔で、顎に人差し指を当てて小首をかしげている。
「まぁ……お前らしいっつーかなんつーか。じゃあさ、もう1クラスお化け屋敷やってるとこがあるんだが、敵情視察も兼ねて見に行こうと思ってるんだ。お前も一緒にどうだ?」
「うん、いいよ」

 そんなわけで、二人はもうひとつのお化け屋敷、3年2組の教室にやってきた。
 扉の脇には細い竹がいくつもくくりつけられ、ご丁寧に破れ提灯がぶら下げられ、なかなかそれらしい雰囲気を出している。
「こっちは和風なんだが……ま、やってることは大して変わらないだろ。一応、どんな仕掛けがあったかとか覚えといてくれ」
「りょーかい♪」
 白い着物を着て額に白い三角形をつけた案内人に誘われ中へ足を踏み入れると、そこは闇の世界だった。
 足元に青や緑の小さな明かりが灯されているが、それがまた不気味さを煽っている。
 通路の両側は入り口と同様に竹がびっしりと置かれ、まるで夜の竹林を歩いているような気分になる。
 上のほうで揺れていた提灯がいきなりすっと降りてきた。
「おっと、落ちてきたね」
「ふーん…天井に滑車でもつけてあるんだろうな」
 冷静に分析する。
 ほとんど視界が利かない中、土浦は香穂子の方を見て、ふっと笑った。
 さすがに自分のクラスのお化け屋敷を『へっちゃら』と言い放っただけのことはある。
「うおっ」
「ぅわっ」
 緩い勾配を歩いていると足元が急に沈んだ。
 二人して確認するように足元を2、3度踏みつける。
「これってスポンジ?」
「だろうな。板で角度つけて高さ作って、ウレタンか何か敷いてるんだろ」
「へぇ」
 ウレタン床を抜けると、再び勾配があった。
 数歩歩くとガタンと音がして身体がガクンと落ちる。
「わっ、今の何?」
「たぶん床がシーソーになってるんだろ」
「なるほどー」

 角を曲がると、わざとらしいほどの効果音── 『ヒュードロドロ』といかにもな音が聞こえてきた。
 下からのライトでパッと浮かび上がったのは絵に描いたような幽霊。
 青白い顔の半分を乱れた長い髪で隠し、口の端には赤い血のようなものが垂れている。
「う〜ら〜め〜し〜や〜」
「おっ、来たな」
「─── っ!」
 その時、土浦は腕がギュッと強い力で圧迫されたのを感じた。
 見れば香穂子が小さく震えながら抱き付くように腕に掴まっている。
「おい……日野?」
「え…あ…ご、ごめんっ!」
 ぱっと手を放し、ズササッと後ずさり。
 ちょうど香穂子の背後になった幽霊がニヤリと笑って香穂子の肩に手を乗せた。
「う〜ら〜め〜し───」
「いやあぁぁぁぁぁぁっ !!!」
 耳を刺すような悲鳴を上げ、香穂子は頭を抱えてその場にしゃがみこんでしまった。
 さっきまでの余裕の態度とは打って変わって怯える香穂子の様子に呆れつつも、土浦は少し意地悪してみたくなった。
「おい、大丈夫か? 怖いんなら掴まってていいぞ?」
「こっ、怖くなんか── っ」
「じゃあ俺、先行くわ」
「やだっ、待ってっ!」
 踵を返した土浦は背中にドンと衝撃を感じた。
 すぐそばに香穂子が寄り添っている── 腕には掴まらず、遠慮がちに制服の肘の部分を両手でぎゅっと握り締めていた。
 ぷっと吹き出す声が聞こえて土浦が振り返ってみると、さっきの幽霊が笑顔で親指を立て、バチンとウィンクを飛ばしてきた。
 暗くてよかった── 明るければ赤くなった顔を見られてしまっただろうから。
 土浦は片手を上げて幽霊に応えると、その手を無造作にポケットに突っ込み、香穂子を引きずるようにして歩き始めた。

 その後の道のりは妖怪・幽霊のオンパレード。
 一つ目小僧やろくろ首、唐傘お化けに頭に矢の刺さった落ち武者が出てくるたびに香穂子は悲鳴を上げまくる。
 途中、ひんやりと湿ったものが頬を掠め、ふわりとしたものが足をくすぐった。
 おそらく湿ったものはこんにゃくで、ふわりとしたものは羽根のついたハタキだろう。
 それにもいちいち香穂子は過剰に反応する。
 次から次へと押し寄せてくる妖怪たちに香穂子の心臓はバクバクしているのだろうが、腕に香穂子の柔らかな感触を感じ続けている土浦も別の意味で心臓がバクバクしていた。
 すでに敵情視察はどこへやら、である。
 ようやくゴールに辿り着き、外の明るさに目を瞬かせる。
 結局、香穂子は再び土浦の腕にひしと抱きつき、二の腕に顔を埋めていた。
 廊下を通る生徒たちが二人を見て、ヒソヒソ囁き合ったり、クスクス笑い合ったりして通り過ぎていく。
 土浦はバツの悪さにゴホンと咳払いをした。
「おい日野、外出たぞ」
 土浦の腕から恐る恐る顔を上げた香穂子は明るさにほっとしたのか、骨が溶けてしまったかのように土浦の腕をずるずると滑り落ちて、ペタリと床に座り込んでしまった。
「なんだよ、ウチのクラスのはへっちゃらだったんだろ?」
「だって……」
 悲鳴を上げすぎたのだろう、香穂子の声は風邪で喉を痛めたかのように痛々しい掠れ声だった。
「あー、やせ我慢してたんだろ?」
 同じお化け屋敷ながら自分のクラスのものは怖がってもらえなかった腹いせか、土浦の口調は意地悪くなる。
 といっても半分以上は照れ隠しなのだが。
「違うよ……もしあの中にホンモノが混じってたらとか考えたら怖くなっちゃって……」
「ホンモノ?」
 香穂子は目に涙をいっぱいに溜めたまま、コクリとうなづく。
 そんな香穂子の表情を初めて見た土浦は、不覚にもドキリと心臓を高鳴らせた。
「ほら、怪談話とかしてると幽霊が集まってくるとか言うじゃない? 明らかに作り物なら怖くないけど、ホンモノは嫌だもん」
「ここだって全部作り物だろうが」
「だーかーらー、もしホンモノが混ざってたらイヤなんだってばー」
「もしって……あのなー」
 よくわからない香穂子の理論に、土浦は思わず溜息を漏らす。
 どうやら香穂子にとって、洋風モンスターは空想の世界のもので怖くもなんともないが、和風の幽霊は現実的に恐怖を感じるということらしい。
「まあとりあえず模擬店にでも行こうぜ。叫びすぎて喉渇いたろ、ジュースぐらいはおごってやるよ」
 コクンとうなずくものの、香穂子は立ち上がろうとしない。
「行かないのか?」
「うぅ……腰抜けた……」
「しょうがねぇな」
 土浦は香穂子の二の腕を掴んでぐいっと引っ張り上げると、おぼつかない足取りの香穂子をそのまま引っ張っていく。
 手のひらに感じる香穂子の腕の細さに驚きながら、まだ腕に残る柔らかな圧迫感に口元が緩むのを止めることができなかった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 なんでだろう……長編に行き詰まると短編が書きたくなるんです。
 いや、行き詰まってるわけじゃないんだけど、
 長編のストーリー考えてると、ふっと降りてくるっていうか。
 つっちー、きっと何か妄想してるんでしょうねぇ(笑)
 まあそりゃあ、腕にぎゅっとしがみつかれたら意識したくなくてもしちゃうでしょう。
 そんな感じで(どんな感じじゃーっ)

【2007/04/30 up】