■ケンカの理由
期末試験を終え、あとは冬休み突入を待つばかりの学院内は、この後訪れる一大イベントのせいか穏やかでいてどこか落ち着かない雰囲気を漂わせていた。
そんな中、放課後の音楽室にメドレーにアレンジしたクリスマスソングのアンサンブルが美しく響いていた。
学内コンクールが開催された年には、クリスマスイブに行われる市民コンサートに参加メンバーが出演するのが恒例になっているらしく、例に漏れず出演依頼が来たらしい。
公衆の前で演奏することは音楽家を目指す生徒たちにとっても良い経験だということで、学院側も断るはずもなく。
数日前から放課後は音楽室に集まって練習をしていた。
流れていた音が突然の不協和音と共にピタリと止まる。
「あ……」
皆の視線が一ヶ所に集まる。
視線の中心── 香穂子はゆっくりと弓を下ろし、気持ちを落ち着かせるように大きく息を吸い込んだ。
眉間には小さく皺が寄っている。
「この程度の曲、君なら例え初見でも弾けて当然だと思うが?」
「…… ごめんなさい、もう一度最初からお願いします」
冷たく言い放つ月森に、香穂子は辛そうに頭を下げた。
「あ、でも日野ちゃん、調子悪いんなら無理しない方がいいよ、うん」
「そうだね。まだ本番までには時間もあるし、今日のところは個人練習でもいいんじゃないかな」
3年生ふたりがフォローを入れるが、香穂子の眉間の皺は消えなかった。
「…… ごめんなさい…… 練習室に行ってきます…」
俯いたまま、小さく頭を下げると、香穂子は譜面台の上の楽譜を掴んで音楽室を飛び出して行った。
香穂子の姿が消えると、今度は皆の視線が俺の上に突き刺さる。
何も言わなくても、言わんとしていることはわかってる。
『土浦、何とかしろよ』、と。
くそっ。
俺はピアノの蓋を閉めると、楽譜を手に音楽室を後にした。
練習室の小さな窓をひとつひとつ覗き込みながら、香穂子の姿を探す。
この時期、学校に遅くまで残って練習する者はあまりいないようで、半分以上が空室だった。
そして、一番奥の部屋でやっと香穂子の姿を見つけた。
わずかに響いてくる音は── ラ・カンパネッラ。
目を閉じ、眉間に皺を寄せて、弦が切れそうな程に力任せに弓を引く。
一心不乱に。
それは『鐘』というより、ヒステリックな叫び。
その曲をそんな風に弾いて欲しくない。
だが、そうさせているのは間違いなく俺なのだ。
俺が妥協するしか、ないのか。
俺は小さく溜息を零すと、練習室のドアに手をかけた。
ドアノブの音に気づいたのか、香穂子がヴァイオリンを下ろし、じっと俺を見つめていた。
「今はそんな曲弾いてる場合じゃないだろ。コンサートの曲、練習しろよ」
俺は感情を極力出さないように静かに言葉を紡ぐ。
香穂子は無言のまま、唇を噛んでいた。
目元にうっすらと涙が滲んでいるようにも見えた。
あまりに居心地が悪くて、俺は視線を外して後ろ頭をボリボリと掻き毟るしかなかった。
「ったく、いつまで怒ってんだよ、あれぐらいのことで」
「あれぐらいのことって何よ!」
ポツリと呟いた俺の言葉に、香穂子は異常なまでの反応を示す。
「…… 土浦くんと…… 出会って…… 初めての…… クリスマス…… なのに……」
搾り出すように香穂子の唇が震え、俯いた目元からきらりと光る雫が床に落ちた。
降参、しかないんだろうな。
「わかった── お前の言う通りにしてやるよ」
思わず出てくる溜息。
「本当?」
「ああ」
「よかった〜、手作りのザッハトルテ、食べてみたかったんだ〜」
さっきまでとは打って変わって、キラキラした笑顔を見せる香穂子。
ん? なんか外で音がしたような……。
ま、こいつの機嫌が直ったんなら、まあいいか。
「けど、クリスマスケーキだろ? 女ってのはイチゴのデコレーションとかの方がいいんじゃないのか?」
「何度も言ったでしょ! 私はチョコが好きなの!」
「── たく、誰が作ると思ってんだよ」
「あはは、私も手伝うってば」
「当然だ」
そして、何日か振りにふたりで笑い合った。
「あー、なんだか疲れちゃった。そろそろ帰ろうか?」
ヴァイオリンの弦と弓を弛めながら、キョロキョロと周りを見回して、『あ、ケース、音楽室に置きっぱなしだ』と小さく舌を出す。
「お前、練習は?」
「大丈夫、暗譜もできてるし。今日は頭の中ぐちゃぐちゃでダメだったけど、もう大丈夫」
「そうか…… じゃあ、材料でも買いに行くか? ケーキの」
「うん!」
俺はすっかり機嫌の良くなった香穂子の頭をポンポンと叩くと、ふたりで練習室を後にした。
さっきまでふたりがいた練習室の隣。
ふたりが出てくる気配に慌てて飛び込んだものの、誰もいなくてよかったと胸を撫で下ろす。
「あの…… 作るケーキのことでケンカしてらっしゃったんでしょうか……?」
ポッと頬を染めた冬海が控えめに呟く。
「そうみたいだね。いいなー、土浦。おれの運命の女の子はどこにいるんだろ?」
頭の後ろで手を組んで、つまらなそうに唇を尖らせる火原。
その足元で静かに寝息を立てている志水。
「全く、迷惑な話だ」
神経質そうに腕を組んだ月森が憮然とした顔で吐き捨てた。
それをなだめるように、柚木が笑う。
「ふふっ、明日の練習は大丈夫そうだね」
〜おしまい〜
【プチあとがき】
あははー。
前に書いたバレンタインSSとかぶりまくりですが。
やっと書けました。
たぶん、コルダ2プレイ後にはまたコルダものが書けるようになるかと。
【2006/12/18 up】