■告 白 土浦

 昼休み。
 日野香穂子はエントランスを訪れていた。
 もちろん目的は購買。
 弁当は持参しているので、何か飲み物を調達しようとやって来たのだが──。
 購買はいつもの如く、人で溢れていた。
「まったく…、どこからこれだけの人間が湧いてくるんだろ…」
 香穂子は自分もその一人だということを棚に上げて、不満を呟く。
「あ、いたいた!」
 人の波に突入する機会を伺っていた香穂子は、いきなり後ろから腕を引っ張られてたたらを踏む。
 驚いて振り返ると、見知らぬ音楽科の女子生徒が腕を掴んでいた。
 タイの色は自分と同じ赤──2年生だ。
「ねぇねぇ、ちょっとお願いがあるんだけど」
「はい?」
 香穂子にしてみれば、知らない人にお願いされる筋合いはない。
 そんな気持ちが顔に表れたのだろう、女子生徒は慌てて掴んでいた手を離した。
「ご、ごめんね突然! 私、音楽科の榎木光恵。その…、日野さんに折り入って頼みが……」
「はあ…… 何、かな?」
 小首をかしげる香穂子に、榎木光恵は恥ずかしそうに顔を赤らめて俯いた。
「あ、あのね…っ、その………、私、入学した時から土浦くんのファンなのっ!」
「………は? …… あ、あの、そういうことを私に言われても……、直接本人に言ったほうが……」
 榎木はこれでもか、というくらいにブンブンと頭を横に振った。
「そんなことできないよっ! ねぇ、日野さんって土浦くんとよく話してるじゃない? どんなことでもいいの、何か土浦くんの話、聞かせて!」
 榎木は香穂子の両肩をガシッと掴んだ。その掴む力に、榎木の必死さが伝わってくるようだった。
 香穂子にとってはそれよりも、二人の横を他の生徒たちがクスクス笑いながら通り過ぎていくのが恥ずかしくて、この場から走って逃げ出したかった。 しかし、榎木に両肩を掴まれてるこの状況では、どうすることもできなかった。
「あの、榎木さん……、声大きくなってるよ?」
「えっ、や、やだっ、恥ずかしいっ」
 我に返った榎木は辺りをきょろきょろと見回すと、壁際まで香穂子を引っ張っていった。
 おもむろに香穂子の手を取って、両手でぎゅっと握り締めた。完全にお願いポーズだ。
「私ね、サッカーしてる土浦くんも好きだけど、ピアノ弾いてる土浦くんもステキだなって。でもびっくりだよね、土浦くんあんなにピアノうまいなんて!  いいなあ日野さん、土浦くんとコンクール一緒で。さっきここに来る時、土浦くんとすれ違っちゃったの! もうすっごいどきどき〜!  だからついついエントランスに来ちゃうの〜!」
 『なにか聞かせて』と言っていたはずの榎木のマシンガンな自分語りに、香穂子は困惑した。
 うんざり、というほうが正しいかもしれない。
「でね、日野さんと土浦くん、付き合ってるっていう噂、ほんとなの?」
 榎木は完全に涙目になっている。握られている手はちぎれそうに痛かった。
「…え?」
「もしかして、土浦くんに告白されちゃったりとかしたっ !?」
 今度は香穂子が首を思い切り横に振る。
「ほんと? …… ああ、よかった」
 ほっとして笑みを浮かべた榎木の顔が一瞬にしてピキッと引きつった。
「……? どうかした?」
「ひひひひ日野さんっ、話はまた今度! じゃあねっ!」
 香穂子は脱兎の如く逃げ去っていく榎木の後ろ姿を呆然と見送りながら大きな溜息を吐くと、やっと解放された手をいたわるように撫でた。

 その時、香穂子の頭にぽふんと何かが乗せられた。
「なに女同士で手ぇ握り合ってんだ? 気色悪ぃ」
「男同士よりはマシでしょ。── お昼済んだ?」
 土浦はもう一度香穂子の頭をポンと軽く叩くと、その手をポケットに突っ込んだ。
「いや、購買にお茶買いに来た。… にしても今のヤツ、俺と目が合った瞬間、顔引きつらせて逃げやがって…… そんなに俺の顔は恐いか?」
「うん」
「即答かよっ !?」
「ほらほら、そうやって眉間にシワ寄せてるから」
 香穂子が小さく指差すと、直接触れられてもいないのにくすぐったいような気がして、土浦は自分の眉間に手を当てた。
「… ったく、お前、俺にケンカ売ってんのか? なんなら買うぞ?」
 腕を組み、口元をヒクヒクさせて軽く睨む土浦に、香穂子はクスクスと笑った。
「そうだ、くしゃみ、出なかった?」
「そういや、ちょうどエントランスに入った時──」
 ぷーっ、と盛大に吹き出す香穂子。
「おい…、まさか今のヤツと俺の噂話してたってオチか?」
 香穂子はまだ肩をプルプル震わせて笑っている。
「…… どうせ顔が恐いだの、態度がデカイだの言ってたんだろ。まったく女ってのは」
「そうじゃないよ。いろいろ聞かれてたの」
「何を?」
「えーと…… 内緒 ♥」
「はぁ? なんだそりゃ」
 香穂子はニッコリ笑うと、くるりと土浦に背を向け、いつの間にか人もまばらになった購買へと歩いていった。
 土浦はふっと苦笑を漏らすと、エントランスに来た目的を果たすべく、香穂子の後を追った。

「── 前の彼女」
「は?」
 エントランスから2年の教室が並ぶ階へ戻る途中、突然呟いた香穂子の言葉に土浦はドキリとした。
「告白されて、嬉しかったんでしょ?」
「な、なんだよいきなり。…… 昔の話だ、もういいだろ」
「ふーん」
「なんだよ」
 少し前に流れた噂の誤解を解こうと香穂子にした話を蒸し返されて、土浦は不機嫌になった。 たちまち『恐い』と言われても仕方のない表情になる。
「さっきの子ね、『土浦くんと付き合ってるの?』だって」
「はぁ !?」
 香穂子が何を言いたいのか、土浦は量りかねた。
 そのまま笑い飛ばしてもよかったのだが、土浦は賭けに出てみることにした。
 大仰に腕を組み、口元に意地悪そうな笑みを浮かべ、香穂子をジト目で見た。
「…… ははーん、さてはお前、俺に『付き合ってくれ』とでも言わせたいのか?」
「うん」
「そうだろそうだろ、お前がそんな女らしいこと考えてるわけな── なにぃっ !?」
「だめ?」
 香穂子は目をきらきらさせて見上げてくる。
 思いも寄らない展開に、土浦は赤くなった顔をそむけて口ごもった。
「だめとか… そういう話じゃないだろっ! そんなこと軽々しく言うなよ」
「……… だめ… なんだ…」
 悲しそうに目を伏せ、溜息混じりにぽつりと呟く香穂子。
 土浦はだんだん自分が香穂子をいじめているような錯覚に陥ってきて慌てた。
「…… っ! そ、そうじゃないが……、そ、そのうちにな」
「むぅ」
 ちらりと見ると、香穂子は不満げに唇を尖らせていた。
 このまま話を続けるのもバツが悪いと思った土浦は、頭の中で必死に違う話題を探した。
「は、腹減ったな……お前も昼メシまだなら付き合えよ」
「あ、言った」
「うわ、しまったっ! って、今のは昼メシの話だろうがっ!」
「お弁当取ってくるね〜!」
「お、おいっ!」
 2組の教室へとダッシュしていく香穂子の後ろ姿に、土浦の口から自然と溜息が零れる。
「…… 変なヤツに惚れちまったもんだ…」
 もう一度大きな溜息を吐いてから弁当を取りに教室に入る土浦の顔には、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 友達以上恋人未満(古っ)なつっちーと香穂ちゃん。
 たぶん、コンクール期間中。
 おまけの選択肢総当りで見てたときに浮かんだネタです。
 いろんなイベントのパッチワーク状態。時系列バラバラですが。
 香穂ちゃんをちょっと小悪魔っぽくしてみました(笑)
 コルダの中で一番ナチュラルなお付き合いができるのは、このふたりだと思うのです。

【2006/5/24 up/2006/6/19 拍手お礼より移動】