■追憶のヴァレンタイン 土浦

 受け損ねたボールを追って走っていると、フェンスの向こうからきゃあきゃあとわめく声が聞こえてきた。
 下校する数人の女子が、かたまって歩いている。
 タイの色からして、1年か。
 しかし、女ってのは、どうしてこうも群れるんだろうな。
「ねぇねぇ、どこに買いに行く?」
「やっぱり駅前のお店でしょ」
「あ、雑貨屋さんに輸入もののチョコ入荷だって!」
「え〜、ケーキ屋さんの生チョコも捨てがたいよ」
「やっぱ迷うよね〜」
 ……2月、か。そんな季節だな。
 そういえば、去年の今頃──

「ねぇ、チョコ、どうする?」
「えへへ、もちろんあげるよ〜、もう買ってあるんだ〜」
「香穂子ちゃんはどうするの?」
「えっ、わ、私? 私は誰にもあげないよ」
 『香穂子ちゃん』と呼ばれた女子が顔の前でぶんぶんと手を振る。
「えー、どうして !? 女の子の一大イベントだよ !?」
「だって、そんな人、いないもん」
「うわ寂しい…」
「そんなこと言ったって……だって私、チョコ大好きだし。あげるくらいなら、自分でお腹いっぱい食べたほうが建設的じゃない?」
 呆れた顔の隣の女子が、『香穂子』の肩にポンと手を乗せる。
「…… 来年は香穂ちゃんにも春が来るといいねぇ」
(『色気より食い気』か。おもしれぇヤツ)
 目で追っていると、『香穂子』という名の『食い気女』の背中で、赤味の強い長い髪がさらりと揺れた。

 同じようなシチュエーションを目にして、記憶がフラッシュバックした。
 コンクールで初めて会ったと思っていたが──、その前に出会ってたんだな。
 たぶん今年はあいつも準備してるんだろうが……、俺も今日あたり寄り道して帰るとするか。
 俺が用意したものを目にしたあいつの顔が頭に浮かび、思わず顔が緩む。
「── んぱ〜い! 土浦せんぱ〜い! ボールお願いしまーす!」
「おう、悪い。行くぜっ!」
 後輩に呼ばれて我に返った俺は、足元に転がったサッカーボールを思い切り蹴った。

 2月14日。あいつの家の前。時間通り。
 ガチャリと音を立てて開いた玄関の扉から、ひょっこりと顔を出す香穂。
 俺の顔を見て、にぱっと笑う。
「梁太郎くん、おはよう!」
「おはようさん。今日はまた、いやに機嫌がいいな」
「えへへ〜」
 門扉を閉めると、おもむろにカバンの中をごそごそと探り始める。
「じゃ〜ん! はい」
 差し出されたのは赤い包装紙に、こげ茶に金色の縁取りのあるリボンが掛けられた小さな包み。
「なんだそれ?」
 それが何であるか知っていて、わざと尋ねてみる。
「だって……今日は14日だし……手作りはちょっと…無理だったんだけど……」
 視線を外して呟く香穂の頬が、ほんのりと赤く色づいていく。
「あぁ、バレンタインデーってやつか。ずっと鬱陶しいイベントだと思ってたが、お前からもらうのは嬉しいかもな」
 実は期待していた、ということはひた隠しにして、わざとそっけなく答える俺。
 香穂の手から包みをひょいと取り上げる。サンキューな、と一言、カバンにしまいこみ、香穂の背中をちょんと押して、学校への道へ促した。
「え、ええーっ! りょ、梁太郎くん、今までにチョコもらったことあるとかっ !?」
 歩きながらガシッと俺のコートの腕にしがみつき、潤んだ目で見上げてくる。
 そんな顔に、俺まで頬が熱くなってくる。
「な……なんでそうなるんだよ」
「だって、だって……、なんかもらい慣れてるっていうか…」
 うるうるする大きな瞳からは、今にも涙のしずくがこぼれそうで。
 ここが外でなければ、きっと抱きしめていたに違いない。
「……心配すんな。俺にチョコくれるような奇特なヤツはいなかったさ」
「………よかった」
 ホッとした顔で小さく呟く香穂。
 俺はその小さな頭にポンと手を乗せた。
「お前がその、奇特なヤツ第1号だぜ」
 真実ではないが、嘘でもない── 照れ隠しにちょっとひねくれた表現をしたものの、チョコを受け取るのは正真正銘初めてなのだ。 過去のバレンタインに差し出されたチョコをすべて断ってきた自分を心の中で誉めてやる。
「……それってあんまり嬉しくないかも」
 香穂は唇を尖らせて拗ねている。
 俺は頭に乗せていた手を滑らせ、すっと香穂の頬を撫で、ニヤリと笑う。
「悪い悪い。そうだ、今日俺、部活休みなんだ。帰りにうち寄ってくか?」
「うん、いいよ」
「じゃ、放課後な」
 その後は、他愛ない話が香穂の教室の前で別れるまで続いた。

「おう、入れよ」
「うん、おじゃましま〜す」
 もう何度も俺の家に来ている香穂は、迷いなく上がりこむ。
「そこ座ってろよ。紅茶でいいか?」
「うん、ありがと」
 コートを軽くたたみ、ソファに腰を下ろそうとする香穂をリビングに残し、俺はキッチンに向かった。
 しばらくの後、俺はティーセットを乗せたトレイと、もうひとつのトレイを手に、香穂が待つリビングに戻る。
「わぁ…、それって──」
「ああ、作ってみた」
 俺が出してきたのは、オペラ。なめらかなガナッシュが艶やかに光っている。
 姉貴が持っていた少し昔の料理本を見て作ったものだが、切り取った端を食べてみると、なかなかイケていた。
 自信作、といってもいい。
「おいしそ〜♪」
 香穂の目が輝くのを、俺は見逃さなかった。
 ナイフで取り分け、香穂の前にそっと置く。
「いただきます♪ ── んーっ、おいしいっ!」
 フォークで切り取った一切れを口に入れると、香穂の顔がほこほこした笑顔になる。俺が一番見たかった笑顔だ。
 直後、香穂はフォークを置き、膝の上に手を乗せる。眉根を寄せ、今にも泣きそうな顔だった。
「どうした?」
「… 私、なんだか恥ずかしいよ……」
「何が?」
「バレンタインなのに…… 私、手作りできなかったのに……」
 膝の上の手が、拳の形に変わる。
 チッ… 逆効果だったか…? こいつにこんな顔させるために作ったんじゃないんだがな。
「あのな、バレンタインデーに女が男にチョコを贈るのって、日本だけなんだぜ。本場じゃ男女関係なく大切な人に贈り物をする、ってことらしい」
「え…?」
 『大切な人』に我知らず少し力がこもっていたのか、香穂の頬がポッと赤く染まる。
「それに…… 去年の今頃、お前言ってただろ。『チョコあげるくらいなら、自分で食べた方が建設的だ』ってな。これなら腹いっぱい食べられるだろ」
「はぁ? …… なにそれ? 去年の今頃って…、私、梁太郎くんのこと、知らないよ?」
 きょとんとした顔で聞き返す香穂。本当に忘れちまってんのか…?
「部活中にな、お前が友達と話してるのが聞こえたんだ」
「そうなんだ… って、じゃあ、その頃から私のこと知ってたってこと !?」
「いや、最近思い出した。『ああ、あの時の食い気女が香穂だったんだな』ってな」
「食い……、ひどっ!」
「ははっ、怒るなよ。ま、今朝のお返しだ。食えよ」
「うん…… いただきます」
 俺が作ったケーキを頬張る香穂の顔は、ずっと笑顔だった。

「私も料理勉強しようかなぁ…」
 キッチンで皿を片付けながら、香穂がポツリと呟く。
「いいんじゃないか? ま、ケーキはともかく、簡単なものくらい作れるようになってれば、後々楽だろ」
「後々って?」
 マジか、こいつは。まぁ、たぶん天然なんだろうが。
「だから… お前もいつか結婚とか…、するだろうが」
 ったく、言いにくいことを言わせやがって。
「ああ、じゃあ大丈夫だよ。梁太郎くん、料理上手いし── あ」
「なっ…!」
 俺は言葉を失った。
 持っていた皿を置くと、顔を真っ赤にして俯いている香穂の肩に、そっと手を乗せた。細い肩がピクリと震える。
「… 料理、教えて… くれる… かな…?」
 頬を染め、胸の前で両手を握り合わせ、潤んだ目で俺を見上げる香穂が何よりもいとおしかった。
「お前がその気なら、いくらでも教えてやるよ」
「えへへ、がんばるよ」
 俺は、笑顔を返す。香穂と出会う前まではおそらく見せたことのない笑顔を。
 香穂の瞳が揺れ、そっとその目を閉じるのを合図に、俺の顔は香穂に吸い寄せられるように近づいていく。
 ── その時。
「な〜にを教えるんだか」
「あ、姉貴っ !?」
 目を上げた先の戸口に、姉貴が立っていた。よりによって、一番見られたくないヤツに見られちまったぜ。
 香穂が跳ねるようにして身体ごと振り返り、姉貴に深々と頭を下げる。
「えっ、あっ、お、おじゃましてますっ」
「いらっしゃい、香穂ちゃん。どうぞごゆっくり〜」
 にっこり笑って、ひらひらと手を振ると、姉貴は姿を消す。階段を上がる音が聞こえてきた。
 う…、あのニッコリ、凶悪だぜ…。後で何を言われるか…。
「あ、あの、私、そろそろ帰るね」
「お、おう」
 香穂はばたばたとリビングに駆け込み、荷物を取ると玄関へと走っていく。
「ケーキ、ごちそうさま。とってもおいしかった! じゃ、また明日!」
 玄関の扉がバタンと閉まり、入り込んだ冷たい空気だけが残った。
 ………… 送っていくのを口実に、しばらく家を出たかったんだがな…。
 初めてのバレンタインは、甘くて、苦い、か。
 そんなことを思った自分に感じた妙なくすぐったさに、俺は小さく肩をすくめた。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
リハビリコルダを拍手のお礼に持ってくるとは……。
それも初つっちーだし。
火原書け、火原を。
去年書いたからなー、火原のバレンタイン。
どうも口調が将臣タンとかぶってしまうので、書きやすいような、書きにくいような…
とにかく、体育会系で料理もできちゃう土浦梁太郎、愛してます(笑)

【2006/2/6 up/2006/4/10拍手お礼より移動/2007/10/21 改】