■子猫のワルツ #14 土浦

 冬休みに入り、年も押し迫ったある日、衛藤はひとり駅前通りを歩いていた。
 手にはヴァイオリンケース。
 彼の通う星奏学院の最寄り駅近くに腕のいいヴァイオリン工房があると聞いて、メンテナンスを頼むべくわざわざやって来たのである。
 奥まった場所にある工房へ続く路地へ曲がろうとした時、その角にあるケーキ屋の自動ドアが開いた。
「「あ」」
 ばったり出くわした男女の二人連れ。男の方と見事に声がハモる。
「あらー、桐也くん。今から学校?」
 不思議そうな顔で小首を傾げ、訊いてくるのは日野香穂子。胸元にケーキ屋のロゴが金色で印刷された真っ白な箱を抱えている。
「あ、いや……そこの工房でメンテ」
 ヴァイオリンケースを持った手を少し上げてみせると、香穂子は、ああ、と頷いてニコリと笑った。
「私もメンテナンスはその工房でお願いしてるんだよ。月森くんに教えてもらったんだ」
 聞き覚えのない名前が出てきて、衛藤は眉を顰めた。どこかで聞いたことがあるような気もするが。
 それに気づいたのか、香穂子が『月森くんっていうのはね』と前置きしてから説明してくれた。
 彼女と同学年のヴァイオリニストで、現在は海外に留学中らしい。
 特に興味も湧かなかったので、ふーん、とだけ相槌を打っておく。
 彼女の隣で渋い顔をしている男── 土浦梁太郎とは犬猿の中で、しょっちゅう喧嘩していたとか。
 意見の交換だ、と彼は反論したが、衛藤はまだ見ぬ月森という男に親近感を持った。
 学内コンクールで知り合って、何度もアンサンブルを組んだ、と聞かされて、あの上手いヴァイオリンか、と何度か見たステージ上の月森をおぼろげながらに思い出した。
「でね、年末年始は家族と日本で過ごすために帰ってきてるの。で、これからお家にお邪魔するところなんだ♪」
 なるほど、手土産にケーキというわけか── 別にどうでもいいことだけれど。
「梁なんてね、月森くんのお母さんにも会うもんだから朝から緊張しちゃってて」
「なっ !? よ、余計なこと言うなって」
 香穂子は楽しげにくすくす笑いながら、口を塞ごうと伸ばされた彼の手を軽いステップでひらりとかわした。
「……へー、あんたって意外と年増好き?」
「んなわけあるかっ!」
 顔を真っ赤にして慌てる彼に、思わず笑いがこみ上げてきた。ざまぁみろ、と心の中でガッツボーズ。
「ふふっ、月森くんのお母さんって浜井美沙さんなんだよ、ピアニストの」
 『浜井美沙』と言えばクラシック界では超有名人。ピアノは専門外の衛藤ですら彼女のCDを何枚か持っている。そんな有名人がこれほど近くにいたとは。
「……マジ?」
「うん、マジ」
 言葉通り、真面目な顔つきでこっくりと頷く香穂子。
 そんな超有名人との対面となれば緊張するのも当然だろう。
 ましてや彼はピアノ弾き。その心中はいかばかりか。
 それに引き換え、彼女には緊張の欠片もない。
 肝が据わっているのか、単に物を知らないのか。
 どちらにせよ、その男らしいほどの落ち着きっぷりには妙に感心してしまう。
「うふっ、月森くんにも月森くんのお母さんにも、いろいろと参考になる話が聞けそうで楽しみ〜♪」
 なにやら想像を膨らませつつニンマリしている彼女の手から、土浦がひょいとケーキの箱を取り上げた。
「ほら、行くぞ」
「あ、そだね。じゃあ桐也くん、またね」
 ひらひらと手を振り、あっさり背を向け、ふたり並んで歩いていく。
 『一緒に行く?』なんて言葉は全然期待していなかった、と言えば嘘になる。
 楽器は違えど有名音楽家の話なんてそうそう聞けるものでもないし。
 何より彼女と一緒にいられる時間ができたのに──
 ヴァイオリンのメンテナンスなんてどうでもよくなって、衛藤は踵を返してついさっき降り立った駅へ向かって歩き出した。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 今回も玉砕の衛藤くん(笑)
 衛藤スキーの皆さまからの苦情は一切受け付けません(笑)

【2009/08/18 up】