■子猫のワルツ #13 土浦

 吹く風が柔らかい秋の気配を纏った頃、ここ星奏学院は文化祭に向けての準備で活気付いていた。
 平日の午前中だけの体育祭とは違い、週末の2日間を使って開かれるのだから力が入って当然だろう。
 そして活気だけではなく、浮ついたような空気も流れ始める。
 後夜祭で男子生徒は生花で作ったコサージュを手に意中の女子生徒にワルツを申し込む── そんな学校行事とも思えぬカップル大量製造イベントがあるおかげで、 この時期の学院はどことなく緊張を孕み、気もそぞろになるのも無理はない。
「── なぁ、今度の講習会、出るだろ?」
「まあな。やっぱ踊れないとワルツ申し込む意味がないもんな」
「だよなー。申し込んだからにはかっこよく踊りたいよなー」
 そんな会話が教室のどこかしこから聞こえてきて、衛藤は大きな溜息を吐いた。
 毎年文化祭前になると1年生のためのウィンナワルツ講習会が行われる。
 それに参加するかどうか、悩んでいるのである。
 クラシックをやる人間として、ワルツは数えきれないほど演奏してきた。けれど踊るとなると話は別。
 もちろん、ワルツを申し込みたい相手ならいる。だが──
 誘いたい相手の顔と共にうっかり思い浮かべてしまったある男の顔。衛藤は苦々しく顔を歪めた。

 講習会開催の日。
 結局衛藤は講習の申し込みをしないまま、この日を迎えてしまった。
 集合場所の体育館へ向かうクラスメイトたちと別れ、帰途に就くべく正門へ向かう。
 と。
「── あれ〜? 桐也くん、帰っちゃうの?」
 ドキン、と跳ねる心臓。
 ぱたぱたぱた、と駆け寄ってきたのは、ワルツに誘いたかった相手・日野香穂子。
 自分の中での葛藤など彼女が知るはずもないのに、なんとなく気恥ずかしい。
「今からワルツの講習会でしょ? 行かないの?」
「べ、別に……ワルツなんて興味ないし…」
「えー、楽しいのにぃー」
 拗ねたように口を少々尖らせてそっぽを向く衛藤の顔を覗き込んだ香穂子は、にんまりと笑いながらいきなり彼の右手をぐいっと引っ張った。
 彼女の左手の手のひらを合わせるようにしてきゅっと握り、右手は衛藤の肩に添えられて。
「ずんちゃっちゃ、ずんちゃっちゃ、ずんちゃっちゃ、たらりらりら♪」
 香穂子は楽しそうにワルツのリズムを口ずさみながら身体を揺らし、握り合わせた手を高く上げたかと思うとその下でくるんとターンする。
 ふわん、と彼女のスカートが丸く広がるのが見えた。
 あまりに急速に近づいた距離に、眩暈がするほど心臓が跳ね回っていた。
 彼女の手が離れ、残念だと思うと同時にほっとした。
 あのまま手を握られていたら、バカみたいにドキドキしていることに気づかれてしまいかねない。
「ね、結構楽しいでしょ? 今からでも講習に行ってみたら?」
「だから興味ないって──」
 と、香穂子の視線が衛藤の背後へと吸い込まれていく。
 釣られるように衛藤も振り返った。
 そこにはカバンを小脇に抱えた男子生徒がひとり。
 駆け寄ってきて嫌味のひとつでも言い放つだろうと思われたその男は、なぜかヒキッと顔を引きつらせたかと思うとくるりと踵を返して逃げ出したのである。
「あ、見つけた! 待ちなさいっ!」
 一声叫んだ香穂子は彼を追ってダッと駆け出した。
「誰が待つかっ!」
「一緒にワルツ講習受けようって約束したじゃない!」
「なんで俺たちが1年に混じって講習受けなきゃなんねーんだよっ!」
「今年はホールで踊りたいの! せっかく生徒会の子に頼み込んだのに!」
「行きたいならお前ひとりで行けよ!」
「本番で一緒に踊る人と練習しないと意味ないでしょっ!」
「んな恥ずかしい真似できるかっ!」
「なによっ! 今年も蹴られたいわけ !?」
 下校していく生徒たちの間をすり抜けながら追いかけっこをしているふたり。
 くすくす笑われている今の状況の方がよほど恥ずかしいと思うのだが。
 そんな彼らに背を向けて。
 ── ワルツなんか、一生踊ってやるもんか。
 そう心に誓ってしまった衛藤であった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 秋です。ええ、一足飛びに。
 あとは冬と卒業時期を書いて、このシリーズを終えたいな、と。

【2009/08/14 up】