■子猫のワルツ #10
── わあっ!
どよめくと同時に割れんばかりの拍手。
あちらこちらからひっきりなしに上がる『ブラボー!』の声。
星奏学院の講堂からは、興奮の余韻がなかなか消えることはなかった。
演奏会でもイベントでもなんでもない、普段の放課後。
『都築さんのヴァイコン、今日が最終日なんですって』
そんな噂を聞きつけて、生徒たちは講堂へと押しかけた。
そして、指揮・都築茉莉、ソリスト・日野香穂子によるヴァイオリン・コンチェルトは披露され、客席を埋め尽くした生徒たち(教師も含む)に感動を与えたのである。
聴衆のほどんどがまだ席を立てないでいる中、衛藤はひとり、一目散に舞台裏へと走っていた。
走りながらずっと、胸の内が熱かった。
とにかく彼女に一番にこの想いを伝えたかった。
会場を抜け出した時、数列前に見えた憎き恋敵はまだ着席したままだったことを確認している。
彼の足がどんなに速くても、彼女の元に辿り着くのは確実に自分の方が先だ。
逸る気持ちにもつれそうになる足を無理矢理動かして、とにかく走る。
充実感に顔を輝かせているオケ部員たちの間をすり抜け、さらに走る。
と、廊下の先の控え室のひとつに目指す人物が入っていくのが見えた。
思わずダッシュして、扉の前で急ブレーキ。
ノックをする手間も惜しんで、無遠慮なほど思い切り扉を開けた。
「はぁっ、はぁっ……」
ずっと走り続けていたせいで息が荒い。喉がカラカラで、声が出ない。
「……あれ? 桐也くん…?」
淡いミントグリーンのクロスでヴァイオリンを拭きながら、香穂子が振り返った。
「どうしたの? あ、もしかして聴きに来てくれてたんだ? ね、ね、どうだった?」
わくわくした顔で感想を求めてくる香穂子。
『すげーよかった』と誉めてやりたいのに。
『練習頑張ったんだな』と労ってもやりたいのに。
膝に手をつき、肩で荒い息をする自分の喉からは、いまだ声が出せない。
少し呼吸が整って、身体を起こした時。
コンコン、と扉をノックする音。
「はーい」
香穂子の返事を待って開いた扉から現れたのは、ついさっきまでタクトを振っていた都築茉莉だった。
「日野さん、もう出られるかしら」
「あ、はい! 大丈夫です!」
「じゃあ、私は先に職員室に挨拶に行くから、正門前で待ち合わせましょう」
「了解です!」
丁寧に閉められた扉が、カチャリ、と鳴る。
あーあのね、と香穂子。
おそらく衛藤の顔に『?』が浮かんでいるように見えたのだろう(実際、『なんだ?』と思っていたのだが)。
「これから都築さんのおごりで『ヴァイコンお疲れさまパーティ』するんだ〜」
えへへ、と笑った香穂子は、突然パッと表情を硬くする。
「行くのは私と冬海ちゃんだけなの。オケ部全員だと、都築さん財政破綻しちゃうでしょ?」
悪巧みの相談でもするかのように声をひそめて。
「だから誰にも言っちゃダメだからね?」
人差し指をピンと口元に立てて、茶目っ気たっぷりにニコリと笑う。
そして、くるりと踵を返した香穂子はみるみるうちに楽器を片付けて、
「じゃ、そういうことで♪」
しゅたっと手を上げて衛藤の横を通り過ぎ、鼻歌を歌いながら控え室を出て行った。
── 結局、何も言えなかった。
言葉どころか、まともに声も出してない。
「…………っ」
かくん、と膝が折れ、そのまま床にへたりこむ。
『敵』はひとりではなかったらしい。
敗北感に打ちひしがれた衛藤は、しばらくその場から動くことができなかった。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
ああ、土浦さんの出番が…っ!
でも土日なのよ、と主張してみる。
彼氏の好きな色で小物を揃える女心とでもいいましょうか。
【2009/06/28 up】