■子猫のワルツ #06
とある休日の昼下がり、衛藤は久しぶりに海岸通りへと足を運んでいた。
ここ最近、どうにもむしゃくしゃすることが多すぎる。
『多い』と言っても、それはただひとつの事柄に起因するもの。
それは、『日野香穂子』を取り巻く人間関係である。
彼女の名字が表すように、にこにこと太陽のような笑顔を振り撒く彼女の周りにはいつも人が群がっている。
その中でもとりわけ鼻につくのが、あの男。
最も親密そうに見えて── 実際、親密なのだろう、と思う。
彼女と彼とのやり取りを回想するだけで虫唾が走る。
ヘッドホンから聞こえてくる流行りのポップスが余計に苛立ちを煽った。
「……ちっ」
ポケットに手を突っ込み、顎が胸元に埋まるほどに深く俯きながら歩いていた衛藤は、足元に見えた小石を蹴り飛ばした。
と、ドンッと肩に衝撃。
直後、ぐいっと首が圧迫された。
うっ、と息を詰まらせた次には、耳元から音が消えた。ヘッドホンを剥ぎ取られたのだ。
「── おめーはよぉ、人様に向かって石を蹴るんじゃねぇよ。俺たちだったからいいようなものの、ヤバい人に当たってたらどうすんだ?」
彼にチョークスリーパーをキメているのは友人A。かれこれ半年前にここで知り合った遊び仲間のひとりである。
俯いていたせいで気づかなかったが、目の前にはいつものメンツが揃っていた。
「……腕、放せよっ」
「うっわ、反省の色ナシかよ。中坊のクセになっまいき〜」
「うるせぇっ! 今はあんたらと同じ高校生だっ!」
以前『衛藤桐也はどこの高校に通っているのか?』を解明することに躍起になっていた彼らは、衛藤が中学生だとわかった途端に子供扱いするようになったのである。
中坊、中坊、と言われるたびにむかつくのではあるが、不思議と彼らと縁を切ろうとまでは思わなかった。
要するに、悪いヤツらではないのである。
「んで、桐也クンは何をそんなにやさぐれてんのかな〜?」
「……あんたらには関係ないだろ」
「あーっ、もしかして香穂子ちゃんにフラレちゃったとか !?」
「………っ!」
言葉を詰まらせた衛藤の心中をどう捉えたのか、友人Aは首に巻きつけていた腕をゆっくりと解き、剥ぎ取っていたヘッドホンを申し訳なさそうに彼の手へと返した。
「……あー、その、なんだ………元気出せよ、桐也」
ご丁寧にポンと肩を叩き。
「まだフラレてねぇっ!」
声を荒らげる衛藤の横で、友人のひとりが『おっ?』と声を上げた。
「噂をすれば………」
「おーい! 香穂子ちゃーんっ!」
どうせまたからかっているのだろうと思いつつ、友人が手を振る方向へと視線を向ける。
そこには、満面の笑みで大きく手を振り返す香穂子の姿があった。
「なっ !?」
本当にいるとは思わなかった。
たった今ネタにされてからかわれていた相手と対面するには心の準備ができていない。
「みんなー、久しぶりー♪」
駆け寄ってくる彼女の足音の3倍速で衛藤の心臓は跳ね回っていた。
「香穂子ちゃん、今日も練習?」
「ううん、午前中に済ませてきたの。今からお昼ご飯なんだ」
「え、もうお昼ずいぶん過ぎてるけど?」
「えへへ、ちょっと練習に熱中しすぎちゃって、出遅れちゃったの」
頭の中が真っ白になった衛藤の耳には、香穂子と友人たちの会話がやけに遠くに聞こえた。
「── 香穂子ちゃん、ひとり? 昼メシ、つきあおうか?」
友人Bが申し出た。
ナイスっ!
衛藤の心の中に希望が膨れ上がる。
だがしかし。
「あー、ごめんね、連れがいるんだ」
……なんとなく予想はしていたけれど。
石化した『希望』の文字が砕けて崩れ落ちていく── 脳裡に浮かぶ、そんなヴィジョン。
「── 香穂ー、店、OKだと」
ケータイ片手に駆け寄ってくるのは紛れもなく── 彼女の後ろに寄り添うように立ち、彼女を取り巻いていた男どもへ威圧の眼差しを向ける土浦梁太郎。
「わ、よかった♪」
振り返りつつ、パチンと手を合わせて嬉しそうに笑う香穂子。
「ちょっと遅くなっちゃったから、お店開いてるか確認してもらってたんだ〜。どーしてもマグロの餃子が食べたくって♪」
「へ……へぇ……」
なおも降り注ぐ威圧の視線に凍り付いている男たち。
梁太郎は香穂子の肩に手を乗せると、
「……知り合いか?」
彼女の顔を覗き込むようにして訊いた。
「うん、桐也くんのお友達だよ。前に練習聞いてもらったことがあるんだ〜」
「……そうか」
能天気な香穂子の口調とは逆に、梁太郎の視線はさらに冷たさを増す。
男たちは思わず、ひっ、と声にならない悲鳴を上げて身体を竦ませた。
睨み付けていた衛藤に気づいた梁太郎がぴくりと眉を上げた。
「……なんだ、お前、いたのか」
「なっ!」
『眼中にありませんでした』的発言に、衛藤はカッといきり立つ。
「── 急ごうぜ、昼のオーダーストップ、2時半だと」
「えっ、それは大変っ! それじゃみんな、またね〜」
ひらひらと手を振って。
ふたりは漁港の方向へと歩いていく。
「ふっふっふ〜♪ マグロ三昧ぃ、マグロづくし〜♪」
スキップに近い軽やかな足取りの香穂子の、よくわからないメロディのご機嫌な歌声が遠ざかっていき。
衛藤は何か言い返してやろうと開いた口を、何も言葉を発することなく閉じるしかなかった。
「なあ……昼メシにマグロ食いに行くのか? あのふたり……」
「『焼肉デート』ってのはよく聞くけど……『マグロデート』って……」
はっ、と何かに気づいた友人たち。
ギギギ、と音がしそうな動きで全員が衛藤の方へと顔を向けた。
「な……なんだよ」
再び彼の肩をポンと叩く友人A。
「まあ、その、なんだ……元気出せ」
「うるせぇっ!」
肩を揺らして友人Aの手を跳ね除けて、衛藤はくるりと踵を返し、靴音高く今来た道を逆戻りするのだった。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
衛藤スキーのみなさん、ごめんよぉ(汗)
【2009/04/28 up】