■子猫のワルツ #03 土浦

 1年の教室のある2階から2年と3年の教室のある1階へと階段を駆け下りると、 放課後の開放的な雰囲気漂う廊下で通学カバンとヴァイオリンケースを持って静かに佇んでいる女子生徒の姿が見えた。
 チャンスだ、と思った。
 いつも彼女の側を付き纏っている『デカいヤツ』の姿が見えない。
 衛藤桐也── 星奏学院高等部音楽科1年、ヴァイオリン専攻。
 海外留学の経験もあり、自分の演奏技術に関して高いプライドを持つ彼は、相手を見る目がついつい冷めたものになる。
 馴れ合うのはうんざりだが、ツルんで騒ぐのは嫌いじゃない── そんなお年頃(?)。
 だが、『そばにいたい』『いてほしい』と思う相手に出逢ってしまった。
 それが──
「── 香穂子!」
 大きく手を上げ名前を呼ぶ。
 気づいた彼女は少し跳ねた長い髪をふわりとなびかせ振り向いて、「あ、桐也くん」と柔らかな笑みを浮かべてひらひらと手を振った。
 そう、彼が出逢ってしまったのは、この学院で知らぬ者はいない超有名人、日野香穂子その人である。
 彼もまた入学間もないというのにすっかり学院の有名人となっていた。
 留学経験アリ、入学直前のコンクール優勝、さらにそのルックス。
 そしてさらに理事長のいとこだというのだから、入学早々報道部の格好の取材対象となって当然。
 新年度第1号の校内新聞は、彼の記事で埋め尽くされるという結果となった。
 衛藤は肩にかけたヴァイオリンケースのストラップを握り締め、思い思いの場所へと行き交う生徒の身体と集中する視線を器用にすり抜けて彼女の元に辿り着いた。
「どうしたの? そんなに慌てちゃって」
「なあ香穂子、今日はレッスンない日だろ? 暇だったら── うわっ !?」
 頭の天辺をガシッと掴まれ、ぐいっと後ろに引っ張られた。
 あやうく転びそうになってたたらを踏む。
 なんとか踏みとどまって、いきなり何すんだよっ!と声を荒げた。
「……あのな、こいつにゃお前と遊んでる暇なんてねぇんだよ」
「げ」
 ── デカいヤツ、登場。
 教室から出てきた土浦梁太郎が威圧感たっぷりに腕を組み、背の高さに物を言わせて睨み下ろしていたのである。
 一瞬怯みながらも衛藤は、
「あ……あんたの方こそ──」
 ── いつも香穂子を独り占めしやがって!
 吐き出そうとした言葉はその香穂子本人によって遮られてしまった。
「桐也くんこそ、これから暇なら一緒に来ない?」
 くすくす笑いながらの香穂子の腕を、梁太郎がうんざりしたように、おい、と掴む。
 彼女は、まぁいいじゃない、とその手の甲をぽんぽんと軽く叩いた。
 そんな何気ないやり取りを目にした瞬間、衛藤はヴァイオリンケースのストラップをさらに強く握り潰した。
「あのね、私たち、これからオケ部の練習を見せてもらいに行くんだ」
「はぁ? オケ部?」
「うん、前にお世話になった人が来てて、よかったら見においでって誘われちゃって」
 彼女からの誘いを断る理由なんてどこにもあるはずもなく。
 デカい邪魔者がついてくるのはムカついたが、衛藤はおとなしく誘いに乗ることにした。

*  *  *  *  *

 今日のオケ部は講堂で練習をするらしい。
 三人は一かたまりになって前の座席を目指して階段を降りていた。
 ステージの上では演奏会さながらに並んだオケ部員たちが各々練習を始めている。
「あ、志水くん!」
 香穂子の声に、最前列に既に着席していた生徒が振り返った。
 眠そうなとろんとした目の男子生徒。タイの色からして2年生らしい。
「こんにちは、香穂先輩。今日は誘ってくださってありがとうございます」
「ううん、どうせならみんなで、と思って」
「……アンサンブルもいいですけど、オケもいいですね…」
「うん、そうだよね」
 香穂子が志水と呼ばれた男子生徒の隣に腰を下ろし、梁太郎はその隣にドサリと座る。
 衛藤は眠そうな男子の隣も梁太郎の隣も嫌だったから、1列後ろの香穂子の真後ろの席に落ち着いた。
 と、すっくと立ち上がった香穂子がステージの方に向かって大きく手を振った。
 ステージの上でクラリネットを持った大人しそうな女子生徒が恥ずかしそうに微笑んで、小さく頭を下げた。
「冬海ちゃん、頑張ってるね」
 ぽすんと座った香穂子が隣の梁太郎に話しかける。
「だな。コンクールの頃とは顔つきが違ってるよな」
 衛藤は笑って答えを返す梁太郎の背凭れを蹴りつけてやりたい気分だった。
「── あーよかった、間に合った」
 ふいに後ろから聞こえる声。
 思わず振り返ると、そこには普通科の生徒が一人。
 着崩した制服、耳にはピアス。
 ニコッと笑えば白い歯がキラリ、そんなイメージを持つやたら爽やかなその生徒を、衛藤はどこかで見たことあるなと思いつつ、心の中で『チャラ男』と呼ぶことにした。
「やあ、土浦」
「よお、加地」
 客席の前に回り込んだ『チャラ男』は梁太郎とコツンと軽く拳を合わせ、そのまま彼の隣に腰を下ろす。
 香穂子は身体を乗り出して、
「ごめんね加地くん、急に誘っちゃって」
「ううん、誘ってくれて嬉しいよ。本当は君の演奏を聞けるならもっと嬉しかったんだけど」
 ふふっ、と印象通りの爽やかな笑みを浮かべるチャラ男。
 衛藤の心の中の『蹴りたいヤツリスト』に2人目の名前が記された瞬間である。
 ふとステージの方がざわめいて、ぱたぱたと足音が近づいてきた。
 何事かと思って目を向けると、舞台袖から出てきた私服の男がひらりとステージを飛び降りて、まっすぐこちらに向かって走ってくる。
 前列の4人が立ち上がってそれを迎えた。
「日野ちゃん! みんな! 来てくれてありがとう!」
「火原先輩、今日はお誘いありがとうございます」
 握手、というにはいささか熱烈すぎる勢いで、男は両手で握った香穂子の手をぶんぶんと振る。
 ……リスト、1名追加。
「── あら、賑やかね。練習の邪魔はしないでくれるかしら?」
 いつの間にか近くに来ていた女性が冷たく言い放つ。
 ウェーブのかかった艶やかな黒髪を頭の高い位置で纏め、シンプルなデザインのパンツスーツが似合うクールビューティである。
「あ! お久しぶりです、都築さんっ!」
 駆け出した香穂子をさっきまでの冷たさを柔らかな笑みに変えたクールビューティが受け止めて、二人はしっかと抱き合う。
 ……女はリストに加えなくていいか。
 そんなことを考えながらも、衛藤は香穂子が座っていた席の背凭れに腕を乗せ、その上に憮然とした顔を乗せ、
「……なあ、あれ、誰?」
 不本意ながら、一応の顔見知りである梁太郎へと問いかけた。
「んあ? ……ああ、あれは都築さん。付属大学の指揮科の学生。春の音楽祭で香穂がコンミスやったオケで指揮したの、聞きに来なかったのか?」
「はあっ !? コンミスっ !?」
 知らなかった。
 いや、音楽祭のことは知っていた。
 星奏学院の学生選抜オケが演奏することも、理事長であるいとこから聞くには聞いていた。
 だが、香穂子がコンミスを務めたことは聞いていなかった。
 ちょうどその頃受験生だった衛藤は以前のように休日に遊び歩くこともなく、香穂子との接点がなかったがために彼女本人からも聞くことができなかったのだ。
 もちろん音楽祭の頃には受験も終わっていたから、海外から招かれたオケやアンサンブルには興味を持って足を運んだ。
 だが、たかが学生オケなんて、とオープニングイベントには見向きもしなかったのである。
 ……失敗した。
 心の声は口に出ていたらしい。
 視線を感じて見上げると、遥か高いところに不敵な笑みを浮かべる梁太郎の顔があった。
 ── くそっ、せめて背くらいは追い抜いてやるっ!
 以降、朝晩牛乳をがぶ飲みするのが彼の習慣になったらしい。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 衛藤くんは日野ちゃんに付き纏っては勝手に玉砕してるといい。
 んで、めげてないともっといい。
 つか、もう負けを認めてるような気がしないでもないが……
 今回のテーマは『新参者の疎外感』。
 アンコのfが出た時に衛藤くんの扱いがどうなってるかわかんないけど、
 一応今回の話はあの時期は連絡取ってなかったってことで。
 アニメでは加地くんと衛藤くんは知った仲みたいだったけど、
 ゲームではそこまでではなさそうだよね。
 たぶん衛藤くんの眼中にはなかっただろうと勝手に思ってます。
 都築さんと香穂子さん、仲良すぎ?
 けどまあ、都築さんは帰国子女らしいので、親しくなると挨拶はハグかな、と。
 なんだかオールキャラ出演っぽくなっちゃった。(数名除いて)

【2009/04/06 up/2009/04/15 拍手より移動】