■子猫のワルツ #02 土浦

 春、四月。
 初々しい新入生が希望に顔を輝かせながら門をくぐる。
 ついこの間まで中学生だった新入生たちが身を包むのは、『着ている』というより『着られている』ようにも見える真新しい制服。
 そして例外的に、高校生活も残り三分の一であるにも関わらず、真新しい制服に緊張を隠せない生徒が約二名。
 普通科から音楽科へと編入した土浦梁太郎と日野香穂子である。
 昨年春のコンクールの頃は『普通科のクセに』などと口汚く囁かれもしたが、秋以降の約半年のアンサンブルで共に一つの音楽を作り上げた者たちも多く、人間関係はすこぶる良好。
 問題は、普通科で二年間を過ごした彼ら自身がどれだけ音楽科のカリキュラムに食らいついていけるか、である。
 ステージに立った時とはまた別の緊張の中、始業式とホームルームだけの一日目を無事に終えて。
 そして二日目の午後、梁太郎と香穂子、他数名── 2年生になった志水桂一と冬海笙子の顔もある── は軽い昼食を済ませて講堂へ向かっていた。
 午後から行われる入学式。
 そこで新入生歓迎ステージを披露するのである。
 初めての音楽科の専門教科の授業でくたくたになったものの、音楽を心底愛する彼らのこと、演奏できるとなれば現金なほどに元気になった。
 教師に急遽頼まれて春休み中に数回練習しただけではあったけれど、気心の知れた者同士のおかげで仕上がりは上々である。
「── やあやあ皆さん、ご苦労さまで〜す♪」
 賑やかに登場したのは天羽菜美。
 トレードマークの一眼レフを胸元に、元気に駆け寄ってくる。
「や、香穂! 音楽科はどう?」
「楽しいけど疲れる、ってのが本音かな」
「あははっ、あんたのバイタリティでも音楽科は手強かったか」
 天羽は香穂子の肩をポンポンと叩きつつ、豪快に笑う。
 と、天羽の視線は思い出したように隣に立つ梁太郎の上へと注がれる。
「………あ」
「…………何か言いたそうだな、天羽」
 ぱちぱちと瞬きを繰り返す天羽を、梁太郎は腕組みをして苦虫を噛み潰したような渋い顔で睨みつけた。
「あー……いやぁ……意外と似合ってるなーと思ってさ、その制服」
「……ご期待に添えなくて悪かったな」
「あ、あはは……」
 乾いた笑いで誤魔化しつつ、頬をぽりぽりと指先で掻く天羽。
 考えていたことはしっかり見透かされていたらしい。
 実際彼女は、梁太郎の音楽科制服姿のあまりの似合わなさを見物に来たのである。
 彼は転科を決めた後、あの制服は自分には似合わない、と公言していたし、見るからに体育会系のガタイの良さと音楽科の白いジャケットは不似合いに思えたからだ。
 だが、きちんと所定の場所を飾るアスコットタイもそれほどおかしくない。
 ああそういえば数回見た彼のステージ衣装はアスコットタイを使っていたな、と思い出す。
 彼が気にするほど似合わなくもなく、あまりにしっくりしすぎていた普通科の制服姿のイメージが、今の音楽科の制服姿に取って代わるのも時間の問題だろう。
「ま、とにかく新入生たちにいい演奏聞かせてやってよ! ばっちり取材させてもらうからさ!」
 じゃあまた後で!と天羽は踵を返して正門の方へと走り去る。
 相変わらずつむじ風のようなヤツだ、と梁太郎は香穂子と顔を見合わせ、くすりと笑った。
 そして、即席アンサンブルメンバーが講堂へ入った頃、
「── あっ! とっておきのスクープ、香穂に教えるの忘れてた!」
 新入生の希望溢れる初登校の光景をカメラに収めようと正門に辿り着いた天羽がそう叫んだことを、彼らはまだ知らない。

*  *  *  *  *

「お疲れ〜!」
 入学式のラストを妙なる調べで彩ったアンサンブルメンバーたちが控え室で楽器を片付けているところに飛び込んで来た天羽。
 ちょうどヴァイオリンケースの蓋を閉めた香穂子に擦り寄るようにして腕をがしっと絡め、
「さっき言い忘れたんだけどさ、今年の新入生にすごい子がいるんだって! 15歳にして海外留学、コンクール優勝経験アリ! 楽器はあんたと同じヴァイオリンだよ」
 特に声を潜めることもない天羽のニュースに、室内にいる者も興味深そうに耳を傾けている。
 そんな中、梁太郎が口元をひくつかせたことは、香穂子への報告に興奮気味の天羽が気づく由もない。
「さらになんと! あの吉羅理事長の血縁者なんだってさ! えーっと、名前は──」
 天羽は制服のポケットからネタ帳を取り出し、ページをめくる。
 その時。
 ガチャッ、と扉がいきなり開かれ、音楽科の生徒がそこにいた。
 自慢の脳内データベースにはない顔だ。ということは新入生だろう── 天羽は興味津々で闖入者の観察を始めた。
 やんちゃそうな鋭い眼差しに、元気よく跳ねた髪。
 タイを外したシャツの襟元は胸の辺りまでボタンが外され、下に着ている黒いシャツが見えていて。
 ジャケットのボタンも全開で、卒業していったトランペット吹きの先輩を彷彿とさせるほどに制服はすっかり着崩されていた。
 見知らぬ少年はぐるりと室内を見回した後、一点を見つめ、
「── 香穂子!」
「「「ええっ !?」」」
 どよめく控え室。
「これからあいつらが俺の入学祝いしてくれるって言うんだ。あんたも来いよ」
 ニッ、と口の端に笑みを浮かべて。
 少年と香穂子、二人の関係を邪推する視線が二人の上を行ったり来たりする。
 と、最初に動いたのは梁太郎だった。
 少年からの視線を遮るように、香穂子の前へと立ちはだかった。
「あいにく香穂はお前と遊んでるほどヒマじゃないんでな。ガキはとっとと家に帰ってろよ」
 腕を組み、背の高さを生かして睨み下ろす梁太郎の不機嫌オーラに少年は怯むこともなく。
 それどころか、ぷっ、と小さく吹き出した。
「似合わねーな」
「なっ !?」
「あんた、こないだは普通科の制服着てたよな? あっちの方が似合ってたぜ?」
「う、うるせぇっ! 余計なお世話だっ!」
 くくく、と笑っている少年と、顔を真っ赤にして憤りを顕にしている梁太郎。
 あーあ、負けてるよ土浦くん、と天羽は心の中でつぶやき、溜息を吐く。
 と、いいタイミングで、微妙な空気を吹き飛ばすように音楽が流れ始めた。
 音源は少年の携帯。彼がポケットから取り出すと、音は一段とクリアに鳴り響き、ピ、と短い電子音でプツリと途切れて静かになった。
「なに、暁彦さん? ── 別にいいよ、パーティなんて── ああ、うん、わかったって。それじゃまた夜に」
 通話を終えて畳んだ携帯をジャケットの内ポケットに落とし、
「香穂子、今日は用事ができたから、また今度な」
 ズボンのポケットに手を突っ込んだ少年はあっさりと姿を消した。
 あまりに一方的な押しの強さと新入生とはとても思えない貫禄と見事な引き際に、その場は時間が止まったかのように動く者もなく、しんと静まり返っていた。
「……あ、『アキヒコさん』って、もしかして……」
「うん、理事長のことだよ」
「えっ、じゃあ今の子が !?」
「そう、衛藤桐也くん。なんか懐かれちゃって」
 えへ、と笑う香穂子に、天羽はがっくりと脱力する。
 懐かれた、なんて次元の問題ではなさそうなのだ。
 今のやり取りですっかりヘコんだのだろう、壁に手をつき深く項垂れ、暗い影すら背負って見える梁太郎の丸めた背中に再び溜息が漏れる。
 学院一を誇る愛すべきバカップルに波乱が訪れませんように、と祈りつつ、スリリングな展開をほんの少しだけ期待しているのは内緒にしておこうと心に誓い、 カメラを持つ手に力が入る天羽だった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 あう、前回と似たような展開だなぁ……
 反省、反省。
 脳内アニメが完成しないまま書くと、こうなっちゃうよなぁ。
 リハビリ中ということでお許しを。

【2009/03/19 up/2009/03/23 拍手より移動】