■Ragtime on the rag 土浦

 ある休日の昼下がり。
 実技試験が数日後に迫っているというのに、香穂子は部屋の中央に敷かれたラグの上でゴロゴロと寝そべっていた。
 落ち着いた深緑色のラグに広がる香穂子の髪が、美しい曲線を描いて散らばっていて。
 彼女が身体の向きを変えるたび、曲線は生き物のようにうねりながら、また別の曲線を形作っていく。
「……おい、いつまで転がってる気だ? 魚市場の冷凍マグロか、お前は」
 ラグの縁から仁王立ちで香穂子を見下ろし溜息を吐く梁太郎。
 彼もまた試験を控えた身。CDを聞きながら総譜とにらめっこしていたその手にはタクトが握られている。
「マグロって……その比喩は別の意味でちょっと傷つくんですけど」
 相変わらずラグの上に転がったまま、香穂子は険しい眼差しで梁太郎を見上げながら唇を尖らせる。
「なっ……な、何考えてんだよ、お前」
 少々顔を赤らめた梁太郎を見て、香穂子はぷっと吹き出した。
 くすくすと笑いながら、
「えーっと、練習の前にちょっとストレッチでもしようかと思いまして」
「よく言うぜ、さっきからゴロゴロしてるだけのくせに」
「リラクゼーションと言ってほしいわねー」
 よっ、と掛け声ひとつ、香穂子は身体を起こし、
「そうだ、ほんとにストレッチするからさ、BGMお願いします梁太郎センセー♪」
「はぁ?」
 ぺたんと座り込んだ香穂子はツンツンとつつくかのようにピアノを指差して。
 そのにんまりとした笑みに梁太郎は負けてしまった。
「……ったく」
 香穂子はピアノの側へ移動して準備を始めた彼に向け、『ゆったりと神秘的な感じの曲、よろしく♪』と一言。
 再びゴロンとラグに転がり、そのまま手足を伸ばして、うーん、と背伸びする。
 神秘的と言われても、と梁太郎はレパートリーを頭に思い浮かべ── ニヤリと笑う。
 指を組み合わせた両手をくねらせ手首を回して準備完了。
 鍵盤の上に置かれた彼の指が奏で始めたのは──
「ちょ、ちょっと! その曲じゃリラックスどころか踊り出したくなっちゃうじゃない!」
「おう、楽しいだろ?」
 梁太郎がチョイスしたのは『メープル・リーフ・ラグ』。高校時代、学内コンクールで彼が演奏した『エンターテナー』の作曲者ジョプリンによる、おなじみの曲である。
 不満げに頬を膨らませた香穂子は飛び起きて、ピアノを弾く梁太郎の後ろに立った。
 軽やかに鍵盤の上を飛び跳ねる彼の指。
 まるで本当に踊っているかのようで、とても楽しげで。
 香穂子の眉間に刻まれた皺も、次第に薄れていく。
「── ね、楽譜ある?」
「ああ、そこの棚に── って、お前、弾きたくなったのか?」
「うん、メロディーだけね」
 と、香穂子は飛びつくように部屋の隅のヴァイオリンケースへ駆け寄って、ヴァイオリンの準備を始めた。
「……なるほど」
 鍵盤には不慣れな彼女には無理だろう、と思ったが、ヴァイオリンなら話は違ってくる。
 棚から楽譜を探し出し、真剣な顔で音符を追っていた彼女は隣の部屋から運んできた譜面台の上にその楽譜を乗せ、ぱぱっとチューニングを済ませて一通り音を出してみる。
 手を止めていた梁太郎に、最初はちょっとゆっくりめでお願いね、とニコリ。
 そして、楽しげにラグタイムを奏でる香穂子は緑色のラグの上。
 聞き手のいない贅沢なミニコンサートが始まった──

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 昨日ブログに書いたネタでございます。
 ラグタイムのラグと敷物のラグは語源は違うんだけどね。
 まあ、ちょっとした言葉遊び。

【2009/03/23 up/2009/04/06 拍手お礼より移動】