■試験の後で
【お題】恋人達を見守る10題(by 追憶の苑さま)/08 余所でしてもらえないかと切に思います
※「対立」の続きです。
やけに長く感じた指揮法の授業も終わり、梁太郎は机の上のテキストや文房具をガッと一緒くたにまとめてカバンに突っ込んだ。
「おいリョウ、何そんなに慌ててんだ?」
隣の席にいたルークがのんびりと訊いてくる。
たった1秒すらも惜しいと焦る梁太郎は、話しかけんなよ、とばかりに口の中で小さく舌打ち。
「…室内楽の公開試験やってんだよ」
「もしかしてカホコが出るのか?」
「ああ」
「うおっ、オレも行くっ!」
慌てて机の上を片付け始めた友人を待ってやることなく、梁太郎は教室を飛び出していった。
そっと入り込んだ校内のホールは演奏会さながらの雰囲気だった。
ステージの上では木管五重奏が柔らかな音色を響かせていた。
いずれプロとしてステージに上がる時のための予行演習も兼ねるために公開しているのだろう。ステージに立つ奏者はきちんと盛装している。
客席は審査する先生の他、時間の空いている学生や先生、試験を受ける学生が呼んだ家族たちでほぼ満席。
梁太郎は二度目の舌打ちをして、最後列の端にようやく見つけた空席に腰を下ろした。
出番は後半だと聞いているから、たぶん間に合ったと思うのだが──
木管五重奏の演奏が終わり、拍手に送られて奏者たちが舞台袖にはけていく。
やっと到着したルークがぜいぜいと息を切らしながらやってきて、梁太郎の座る席の横の通路にドサリと座り込んだ。
「はぁ……はぁ……間に合った……のか…?」
「たぶん─── あ」
舞台袖からぞろぞろと出てきた中に香穂子の姿を見つけた。
淡いイエローグリーンのドレスを身に纏った彼女の周囲だけが、ぽぅ、と明かりが灯ったように見えて、梁太郎の口元は知らず緩んでいく。
4人並んで客席に一礼し、半円状に並べられた椅子に座る。
例の大女・デイジーはタキシードを着ているため、まるで香穂子が紅一点のように見えて、思わず吹き出しそうになった。
そして、4人の演奏が始まる。
相当な練習を積んだのだろう。
息が合っているのはもちろんのこと、4つの楽器のハーモニーのバランスは絶妙。
ヴァイオリンとヴィオラとチェロ、3段階の音域の弦の音が見事に調和している。
その中で、最も耳に届くのは2ndヴァイオリンの音── 香穂子の奏でる音だ。
まあ、自宅で何度も聞かされて耳に残っているから、というのもひとつの理由ではあろうが。
全体を聴きながらも、やはり彼女の姿、彼女の音に集中してしまう。
彼の目指す指揮者という立場からすれば失格なのかもしれないが、苦笑を浮かべつつも彼女の音に耳を傾ける。
音色に身を委ねていると、曲はすぐに終わってしまった。
試験にも関わらず『ブラボー』の声と盛大な拍手が湧き起こる。
もっと聴いていたい演奏だった── あの中に自分が入れないことが悔しいほどに。
すべての組の演奏が終わり、ロビーに出ると、
「── 梁っ!」
呼ばれて振り返った先から、普段着に着替えた香穂子が人を掻き分けつつ走ってくる。
── ったく、ヴァイオリンケースが周りの人にぶつかって危ねーだろうが。
そんなことを考えているうちに目の前までやってきていた香穂子が、まるで闘牛の牛の如き勢いで抱きついてきた。
「うおっ !?」
彼女の頭が激突したあばら骨とケースの角がぶつかった脛が痛い。
半分涙目になりながらも抱きとめると、ひょいっと頭を上げて見上げてくる香穂子がにぱっと笑った。
「ね、ね、どうだった? 聴いてくれたんでしょ?」
「あ、ああ……まあ、よかったんじゃねぇか?」
「えー、なにそれ。会心の演奏だと思ったんだけどなぁ」
ぷくっと頬を膨らませ、唇を尖らせる香穂子。
彼女なりに、相当な自信があったのだろう。人前で抱きついてしまうほどの達成感が。
「だから『よかった』って言っただろ? ブラボーブラボー」
「うわ、おざなりなお答えありがとう。って、ほんとは聞き惚れちゃってたんじゃないの?」
にやり、と挑戦的な笑みを浮かべる彼女にギクリとする。
聞き惚れた上に見惚れてました、などと簡単に言えるような性格ではない。
心の動揺をできる限り抑え込み、茶化すように彼女の頭をぽんぽんと叩きながら、
「はいはい、聞き惚れた聞き惚れた」
「ついでに私に惚れ直しちゃったりした?」
「はいはい、惚れ直した惚れ直した── つーか、惚れ直す暇もないほどずっと惚れてっから心配すんな」
時として、『勢い』というのものは予想外の言動を招くものである。
口から飛び出した自分らしからぬ歯の浮くようなセリフに自分で照れつつも、頬をピンクに染めてにへら〜と溶けてしまいそうな笑みを浮かべる香穂子が可愛すぎて、
自分まで思わずにへらと笑ってしまう。
その時聞こえたのは、げほげほとわざとらしい咳。
「あ」
── いつの間にそこにいたんだよっ !?
ドイツ語が飛び交うウィーンの地。
日本語でしゃべっていれば誰にもわからないという油断から、梁太郎はすっかり失念していた。
香穂子のアンサンブルには日本人がひとりいたことを。
「君たちがどこでいちゃつこうと俺には関係ないが── どこか余所でやってくれないか」
音楽一筋の彼には少々刺激が強すぎたのか、耳まで真っ赤に染めた顔をふいっと背け、すたすたと歩いていく。
「月森くん、お疲れさま〜! 今度打ち上げやろうね〜!」
燃えるように真っ赤になって固まっている梁太郎。
彼の胸にもたれていた香穂子はひょいっと身体を離し、つい今しがたまで彼の背中をしっかりと掴んでいた手を遠ざかっていく友人の後ろ姿に向かって大きく振って見送った。
〜おしまい〜
【プチあとがき】
超天然香穂子さん(笑)
たまにはお題消化せねば……
だが、土日の書き方をすっかり忘れてるぞ……マズイ……
【2008/11/08 up/2008/11/25 拍手お礼より移動】