■対 立 土浦

※「目撃」の続きで「楽しい留学らいふ」後のお話です。

 珍しく静かな夕食だった。
 いつもなら学校での出来事や音楽のことなど、話は尽きないというのに。
 梁太郎の向かいに座る香穂子は眉間に皺を寄せ、箸の先をくわえたまま、目の前の皿を睨みつけていた。
 いつもよりずっと早く食べ終えてしまった梁太郎は皿の上にそっと箸を置くと、頬杖をついて香穂子の観察を始めた。
 半分以上料理の残った皿を睨みつける視線は微動だにしないものの、眉間の皺は浅くなったり深くなったりを刻々と繰り返している。時に眉がぴくんと跳ね上がったり。
 身体は動いていないが、頭の中はフル稼働しているようだ。
 なんとなく頭の中でゆっくりと10まで数えてみるが状況は変わらない。放っておけば料理は冷める一方なので、梁太郎は思い切って声をかけてみることにした。
「……香穂、なんかあったのか?」
 すると香穂子は視線だけを上げて、
「……だってデイジーが」
 とぶっすりとした口調で呟いた。
「『デイジー』?」
「チェロの子」
 梁太郎は思わずぶっと吹き出した。
 『デイジー』といえば花の名前、和名だと確か『雛菊』。
 いつだったか香穂子に抱きついていた『デイジー』の男と見まがう容姿を思い出し、あまりのギャップに『似合わねー』などと失礼なことを考えてしまっていた。
「……あの大女、デイジーって名前なのか…」
「そう」
 香穂子は特に気にした様子もなく、仏頂面も変わらない。
 くわえていた箸で、今度は皿の中のニンジンをつつき始めた。
「…で、そのデイジーがどうした?」
「ちょっとテンポを落として、ゆったりと揺さぶるような感じがいいって言い張るの。でも私は今の軽やかな感じでいいと思う」
 ああ、アンサンブルの話か、と納得する。
 どうやら解釈の違いでデイジー── チェリストと対立してしまったらしい。
 高校の頃に組んだアンサンブルではメンバー間に起きた対立をあれほど見事に解消してきたというのに。
 自分が対立の当事者になるのはきっと初めてで、折り合いをつけることができないのだろう。
 真っ向から違う意見を投げつけられると反発してしまう気持ちは嫌になるほど梁太郎にも覚えがあった。
「月森は何て言ってるんだ?」
 かつて梁太郎が一番対立したであろう人物の名前を出してみた。
 彼は香穂子が第2ヴァイオリンを務めるアンサンブルに第1ヴァイオリンで参加しているのだ。
「んー、もう少し楽譜を読み込んでみるって」
「だったらあいつのお勉強の成果を参考にして、みんなでとことん突き詰めていきゃいいだろ。それでもまとまらなけりゃ先生にでもお伺いを立ててみろよ。 なにかしらのアドバイスをしてくれるさ」
 カツカツと動かしていた香穂子の箸がぴたりと止まった。
 はふぅ、と大きく息を吐いて、
「『みんなで』…? ……そうだよね、自分の意見ばっかり主張して人の意見を聞かないようじゃ、アンサンブルなんてできないよね── うん、明日デイジーとちゃんと話してみる」
 もう香穂子の眉間に皺はない。
 まだ根本的な解決にはなっていないけれど、今の彼女の気持ちを軽くすることはできたらしい。
 自分の発言が少しでも彼女の役に立ったことが、梁太郎にはとても嬉しかった。
「ほら、さっさとメシ食っちまえ」
「うん」
 梁太郎の皿が空になっているのに気付いて慌てて箸を動かし始めた香穂子。
 思わず緩んでくる口元を隠そうと、梁太郎は既に中身のないことがわかっているマグカップでお茶を飲む振りをした。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 まるでヤキトリオ(笑)
 さて、彼らのカルテットの名前はなんでしょう?(考えてないけど)
 えーっと、アンコの志水イベは起きてないってことで。

【2008/09/28 up/2008/10/11 拍手お礼より移動】