■がんばれ日本! 土浦

 夏。
 学校も長期の休みに入ったある日のこと。
 月森 蓮は新しい楽譜を買いに行こうとウィーンの街を歩いていた。
「── ねえ、そろそろ機嫌直そ?」
「…………」
「あ、このケーキ美味しいよ。ひと口食べる?」
「……んなもんで機嫌が直るか、お前じゃあるまいし」
 通りかかったカフェハウスから聞こえてくる会話に月森は思わず足を止めてしまっていた。
 聞こえて来たのはこの地では珍しい日本語だったからだ。
 シーズン的に観光客かとも思ったが、その声は聞き違いようもなくよく知った人間のもの。
 よく考えれば『彼ら』の住むアパートはこのカフェハウスの真裏なのだから、そこにいても不思議はない。
 『飽きもせずまた喧嘩か』とうんざりしながら、気づかなかったことにして通り過ぎようとしたところで、
「あ、月森くん!」
 ……気づかれてしまった。
 オープンテラスの一席から手を振っている日野香穂子。
 そしてその隣に仏頂面を頬杖に載せている土浦梁太郎がいた。
 はぁ、と力なく溜息を吐き、月森は彼らの元へと足を向ける。
「……君たちの喧嘩に俺を巻き込むのはやめてくれないか」
 身体の前で腕を組み、再び溜息を吐く。
「えっ? やだ、ケンカなんてしてないよ、梁がひとりで拗ねてるだけだってば」
 顔の前でぱたぱたと手を振り、香穂子が苦笑する。
 それをチラリと横目で見た梁太郎の機嫌は更に悪化したように見えた。
「ほら、オリンピック。サッカーの日本チーム、一次で敗退しちゃったでしょ? それからずっとこの調子なの」
 ……くだらない。
 スポーツに興味のない月森には、その程度のことでむくれる梁太郎の気持ちは理解できない。
 みたび溜息を吐き。
「……君自身が試合に出たわけでもないのに、そこまで落ち込む気が知れないな」
「何ぃっ!」
 ガタン、と大きな音を立てて梁太郎が立ち上がる。月森に掴みかかっていこうとするのを香穂子が抱きつくようにして必死に押さえていた。
「梁、落ち着いてっ! ごめんね月森くん、またゆっくり話そう?」
 力が抜けたようにぺたんと椅子に腰を降ろした梁太郎の頭を抱え込み、よしよしと撫でてやっている香穂子に同情しつつ。
「……失礼する」
 月森は踵を返し、彼らの元を離れる。
「── もう、いつまでそんな顔してるの。せっかくの男前が台無しよ? ほら、笑って笑って」
 聞こえて来た彼女の声に振り返ってみると、口角を上げようと香穂子に頬をつままれている、依然仏頂面の梁太郎。
「……まったく…」
 呆れを隠さず溜息混じりに呟いた月森は、思わずこみ上げてきた苦笑を口元に湛えたまま、足早にその場を後にしたのだった。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 時事ネタ、になるのかな?
 あんまり意味はないんだけど。
 たぶん梁太郎さんは悔しかっただろうなーと思ったら浮かんだネタ。

【2008/08/12 up/2008/08/20 拍手お礼より移動】