■聞かぬが仏・うぃーん編 土浦

 その日、ヴァージニアはとある駅近くにある書店にいた。
 楽譜の品揃えがすごい、と薦めてくれたのは彼女の友人である日本人留学生、日野香穂子。
 確かにその品揃えは壮観で、ずっと探していた楽譜を手に入れることができ、やっとこの曲が弾けると喜び勇んで書店を後にした。
 ふと、そういえば彼女はこの近くに住んでいるのだったと思い出し、周辺を散策してみようと思い付く。もしかするとひょっこり出会えるかもしれないし。
 自分が住んでいるアパートから駅3つしか離れていないけれど、初めて歩く街並みは新鮮だった。
 そのうち散策にも飽きてきて、どうせ近くなんだから彼女を呼び出してお茶でもしようか、と携帯を取り出す。メモリを呼び出し、通話ボタンを押して、携帯を耳に当て── たところで慌てて携帯をパカンと片手で畳んだ。
 目の前の角から電話の相手が姿を現したからである。
 角を曲がった彼女はヴァージニアが進もうとしていた方向へ向かって歩いていく。
 時折見える彼女の幸せそうな横顔。見上げる視線の先には、柔らかな笑みを浮かべて彼女を見下ろす長身の男性の顔がある。ふたりの間で揺れる手はしっかりと握り合わされていて。
 ヴァージニアはだんだんと遠ざかっていく彼女に『彼氏』がいることも『ルームメイト』がいることも聞いていた。 しかし、『彼氏』=『ルームメイト』であることを知ったのは、つい先日のことである。
 ニヤリ。
 ふたりのプライベートに興味を持ったヴァージニアは、彼女たちの尾行を開始することにした。

*  *  *  *  *

 彼女たちが向かったのは程近いところにあるスーパーマーケット。
 ふたりは仲良く食料品の買い物中である。
 買う品物については、どう見ても男の方が主導権を握っているらしい。
 そういえば、彼女は『ルームメイトが食事を作っている』と言っていたっけ。
 ということは……
「(えーっ !? あのカレシがご飯作ってんのー !?)」
 がっちりした体躯のスポーツマン風の男に、頭の中でエプロンをつけさせ、手に包丁を持たせてみる。
「(ぷーっ! 似合わなーい!)」
 陳列棚に身を隠すヴァージニアは笑いを必死に噛み殺した。
 やがてカートの中の品物も増え、ふたりの姿が棚の向こうへと消えていく。慌てて後を追おうと通路に飛び出したところでドスン、と身体に受ける衝撃。
「あっ、ごめんなさいっ!」
 ヴァージニアはぶつかった相手に慌てて謝った。
「いや、悪い、こっちもよそ見してたっ」
 向こうからも謝罪の言葉が聞こえてきて。
「あっ!」
「おっ !?」
 顔を見合わせ同時に声を上げ、思わずお互いに指差した。
「あんた……カホコのカレシの友達…?」
「そっちは……リョウの彼女のダチ…?」
 尾行対象のふたりが先日その関係を暴露した席で見た顔だった。
「えと……ルーク、だっけ…?」
「確か……ジニー、だったよな…?」
「……なにやってんの?」
「あ、いや……リョウと彼女がここに入るのが見えたからさ、ちょっとツケてみたっていうか……そっちは?」
「……あんたと同じ。ま、あたしが追ってきたのはカホコだけどさ」
「ふーん……それにしても、あいつらマジで一緒に住んでるわけ?」
「詳しくは知らないけど、そうなんじゃないの? あたしは少し手前の通りからついて来たんだけど、その時はもうふたり一緒だったし」
「へー……ま、あんな可愛い彼女がいたんじゃ、いくら誘っても乗ってこないはずだよなぁ」
「カホコもいくら誘ってもさっさと帰っちゃうはずだわ」
「……なんか、興味あるよな?」
「そうね、興味あるわよね」
「── 何が興味あるんだ?」
 突然、別の方向から聞こえて来た声。
 ギギギ、と音がしそうな雰囲気で振り返ると、そこには憮然とした顔の土浦梁太郎と満面の笑みの日野香穂子の姿があった。
「「にょえわあぁぁぁぁぁっ !!」」
 訳のわからない奇声を上げて、ルークとヴァージニアは思わず後ろへ飛び退る。
「仲いいのね♥」
 香穂子がにこり。
「「えっ?」」
 気がつけば、ルークとヴァージニアは肩を寄せ合い、何かにすがりつくようにお互いの両手をがしりと握り合っていた。
「「のわぁぁぁっ !?」」
 ふたりは手を引きちぎるように勢いよく放し、距離を取る。
「よかったら、うちでお茶してく?」
 ますます深くなった香穂子の笑みは、こっそり後をつけていたという罪悪感に苛まれるふたりには悪魔の微笑みにしか見えなかった。

*  *  *  *  *

 大量の食料品を詰め込んだ買い物袋を両手に提げた梁太郎と香穂子の後ろを、ルークとヴァージニアがとぼとぼとついていく。
 誤解している者と、誤解された者。その表情の明暗はくっきりはっきりついていた。
 ルークの手には小振りのケーキの箱。
 ちょうどパティスリーの前を差し掛かった時、『ケーキでも買おうか』と言い出した香穂子に、 『部屋にお邪魔するんだからそれくらい買うわよ』とヴァージニアが申し出たものなのだが、その時に──
「あんたも半分払いなさいよ!」
「はぁ? なんでオレが……」
「あんただってリョウをツケてたんでしょ? 同罪じゃない」
「……わかったよ」
 そんなやり取りが顔を寄せ合い小声で行われたため、香穂子の誤解は一層深いものになっていた。
 そして向かったのは賑やかな通りから1本入った裏通りの小奇麗なアパート。
 まず驚いたのはその広さ。一人暮らしのルークとヴァージニアは自分のこぢんまりしたアパートとつい比較してしまう。
 2人掛けのソファに座らされ、てきぱきと動くふたりをぼんやりと眺めた。
 冷蔵庫に食料を片付けていく香穂子。キッチンでお茶の準備をする梁太郎。
 部屋の中をぐるりと見回すと、生活感はありながらもすっきりと片付けられていた。
「……へー、そっか……」
「……何が?」
 隣から返事が返ってきて初めて、ヴァージニアは声を出していたことに気づいた。
「いや、ほら……あのふたりって、ああして一緒にいるのが自然なんだろうなって」
「はぁ?」
「カホコの音楽って深いのよ……音色にしても、表現にしてもすごく深い。『芸術に恋愛は不可欠だ』ってよく言うけど、それって本当なんだろうなってね」
「まあ……そうかもなぁ」
 真剣に、それでいて楽しんで音楽に取り組んでいる香穂子をいつも見ているヴァージニアは、彼女は彼との日常生活も真剣に楽しんでいるのだろうと想像する。
 日々の生活が彼らの音楽を豊かにし、その音楽を共有しているのだろう。
「……なーんか、うらやましいな」
「あんた、つきあってる男とか、いねーの?」
 自分の世界に入っているうちに、またも考えていることを口にしてしまっていたらしい。
 我に返ったヴァージニアは、小声で話していたせいでやけに近くにルークの顔があったことに気づいて、思わず顔をふいっとそむけた。
「い、いないわよ、そんなもん!」
「ふーん……」
 ちょうどその時。
「おまたせ〜♪」
 香穂子が紅茶のいい香りを運んできた。ローテーブルにトレイをそっと置くと、ティーセットがカチャリと小さな音を立てる。
 後から梁太郎が皿に乗せたケーキを運んできて、狭いローテーブルは食器でいっぱいになってしまった。
「どしたの、ジニー? 顔、赤いよ?」
「なっ、なんでもないわよっ!」
 フォークで大きく切り取ったケーキを頬張るヴァージニアと、それを見て苦笑するルーク。
 そんなふたりを見て、不思議そうに顔を見合わせる梁太郎と香穂子だった。

*  *  *  *  *

 ルークとヴァージニアが香穂子たちのアパートを辞したのは、既に日が傾きかけた頃だった。
 音楽の話や、自分の国での生活の話ですっかり盛り上がってしまったのだ。
 一番盛り上がったのは、香穂子と梁太郎の高校2年の時の話だったが。
 並んで駅に向かいながら、ふたりの間に会話はない。
 ついさっきまで楽しくしゃべっていたのに、ふたりきりになった途端、妙にぎこちなくなった。
「あー、時間あるなら、晩飯でも食って帰るか?」
「え…?」
「い、嫌ならいいんだ……悪い」
 見上げたルークの顔はほんのりと赤く染まっている。
 お互い、あのふたりの仲の良さにすっかり当てられてしまったのかもしれない。
「……ワリカンでいいわよ」
 にやりと口元に笑みを浮かべるヴァージニア。
 ぐいっと肘を突き出してくるルーク。
 ヴァージニアはその腕にそっと手を添えて。
「よっしゃ、じゃ行きますか!」
 新たなカップルが1組、誕生した瞬間である。

〜おしまい〜

【プチあとがき】
 あああっ、土浦さんと香穂子さんの出番がぁっ!
 まぁ、サイドストーリーだと思ってください。
 それより、外国人の人も『ワリカン』とか言うのか?

【2008/05/21 up/2008/05/27 拍手お礼より移動】